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キリトリセン

2009-02-09

ベクトルの行方

| ベクトルの行方 - キリトリセン のブックマークコメント

「頑張ってる人に頑張れっていうのは失礼」


という意見はそんなに賛同できない。

その人の頑張りが足りないから頑張れという意味にもなるだろうけど、

頑張っているなら、じゃあ頑張ってね! って思える。

「こんなに頑張ってるのに何で認めてもらえないんだ、成果が出ないんだ」って

思ってた事もあったけど、 (いや、今も思うものも沢山もってるけど)

それは自分なりの頑張ってる位置であって、

これを達成するにはこの位頑張らないと届かない頑張りがある。

辿りついた人は、辿りつく為に必要な努力をしてふんばって辿り着いているんだ。

両手を広げた指先のもっと先に触れたいものがあれば、

背伸びをするなり力を出すだろう。 それが届くために必要な頑張りだ。

広げた指先の距離で触ろうとしても空を切るだけ。

そこで触れないと言ったって触れる訳が無い。頑張る場所が違う。

空を切る動きをするなら、もっとする事があるでしょう?

だから、その頑張りは先に届くための頑張りか認識する目が必要。

自分だけでは固定観念で気づかなかったことも、多角で発見する事だってある。

だから私はここで頑張っている。そう宣言していいじゃないか。

言わないと意見すらもらえない。言われないと意見も言えない。

どうせやるなら達成したい。

達成した時に自分だけ達成感を味わうんじゃなく、一緒に達成感を味わった方が

数段嬉しいし、意見や励ましなどのエールがあってこそという慈しみだって生まれる。

それは足りないという未熟さから生まれた根強さがある。

もし達成できなくても、何が足りなかったのかを認める方が、

次への糧にして別の場所で浄化できるかもしれない。

何で出来なかったの! こんなにやったのに! なんて負け犬の遠吠えに聴こえる。

よっぽど滑稽でよっぽど恥ずかしい。

頑張ってる人は目標に向かってるから頑張れる人。

だから頑張れってエールを言っていいじゃん。

その言葉に重さを感じる事もあるけど、その重さの分、意味ある事じゃないって思える。

この文章を書くキッカケは某友達から届いた手紙にあった

「アンタらしいね。やっぱアンタはアンタだね」という一節。

破天荒だったり、うーん、ぐったりと無謀な事ばかりしてますが、

経過を見てればその行動の意味が納得できるという意味合いを汲んでくれているので、

「決して正しいとは言えないけど、こうしないと納得しないんでしょ、アンタは。

なら、それでやっていけばいいんじゃないの」と見守ってもらえてる。

なので、キレイゴトに思われようが何だろうが、

私はこう思いますが、あなたはどうですか? というスタンスでいい。

あなたもそうしてくださいなんて、それこそ何様だわ。

どれにつけても決定権は誰もがもってる。

2009-01-31

手渡す想い

| 手渡す想い - キリトリセン のブックマークコメント

皆さんはどの位メールアドレスを持ってますかね?

ま、何かに登録するとオプションフリーメールがついてくるってのが多いから

結構な数を持ってるって人もいるでしょうね。

こうもメールが普及して、全国津々浦々、タイムラグ無く連絡が取れる時代だけど、

今でも「なかなか会えない」「連絡が少ない」というのがありますね。

逆にメールですら返信のひとつで浮き沈みする時代。

連絡依存症になりつつあるなーと感じる事もあります。

そんな訳で私もしこたまメアドを持ってますが、メアドを教えてない友達もいます。

メアドを知ってても、あえて手紙でやりとりしてる友達もいます。

遠方の人たちなのだけど、その人たちとは連絡依存になりたくない友達でもあり、

ほぼ「事後報告」が多い連絡だけれども、メールよりも一番心を込めて、

しっかり文章を書いています。こういう連絡もありだな、って思うようになりましたよ。

友達というのは、色々パターンがあるわけで、

地元で会おうと思えばすぐ会える人、計画してじゃないと会えないような人、

色々いるわけで。

お互いに連絡が少なくなっていても、いざという時には頼れて、一緒に悩んで、

バカ話もしたり、結果だけを報告することもあったり、逆に何も言わない事もある。

こう書くと「自分の都合のいい時だけ頼ってくる」なんて思う人もあるでしょうが、

自分の心一つで相手の心も変わるものです。

いちいちそうやって人の目を気にしてはいられません。

こっちの都合で言ってスッキリしたとして、実は相手が大変だって時期もあるし、

誰に言った、言わない、信用する、しないの問題じゃない。

全員の意見を全部聞き入れてたら、誰の願いも叶えまくって

つじつまが合わなくなる神様と同じ(ブルース・オールマイティ)。

そうじゃなくて、お互いの気持ちを分かり合っていれば、

距離は関係なく本当の友達でいられるんじゃないか。

たとえ毎日会ってても、影で悪口言っているよりも、何倍も思いやってると思う。

傷を舐めあう同士ではなく、お互いに叱咤激励・成長しあえる関係。

そういう、自分に必要で、自分を必要としてくれる間柄が、

かげがえのない間柄になると思う。

リアルタイムな人付き合いは、沢山の仮面をかぶり、殻をかぶる。

それは流れる時間の共有を円滑に流れる為の法則でもある。

信用してるしてないとかじゃなく、そこで心ってヤツを養う事でもある。

いい意味、緊張感にも周りを見る事でもある。悪い事じゃない。

でも、仮面は時として息苦しい。本音を言いたい。

その本音を言ってしまったら、ここで呼吸し続けられなくなる。

言いたい。そういう衝動に駆られる。

そして、あなたも言って。本音を。

大丈夫。ここだけの話だから安心してよ。

だから手紙のやりとりで語る。

筆圧で感じ、文字の最初と最後の状態で読み、何度も読み返す。

人によってはメールアドレスを教えないなんて、と思うかもしれない。

でも、送ったつもりでも着信拒否で安易に返される事もあるメール、

万人同じ書体で、複数に同時送信できるメール。

それよりも一人当てにキチンと書きたい。よっぽどリアルタイムより心を見せている。

こういうつながりもありだよ。

この世の中だからこそ。

2009-01-15

この体で生きる意味

| この体で生きる意味 - キリトリセン のブックマークコメント

あるサイトで、障害者の団体の活動が紹介されてました。

行動するのってすごいですよね。

思ってるだけじゃ、伝わらないから行動する。

これは何かを伝えたい行動なんでしょうね。


今回、一意見ではありますが、

この身体で生きてる「意味」を「体感」という形でちょろっと書こうかな、と。


私は普通の身体よりちょろーっとワケありな部分があります。

いや、全然元気に普通に生活してるんで、重病とかそんなんじゃ無いですよ。

でもそのちょろっとは時に「差」を生む事も正直です。


やっぱり生活の中でキッツイなーと、立ち止まってしまう事もしばしば。

ちょっとブレイクしてからじゃないと、万全に対処は無理って時が無くも無く。

そういう時全然理由を知らない人からは

「ちゃんとやれ」とか「出来ないのか」とか言われてしまったりもする。

その事に対してしょげる気も無いし、挽回すればいい事だし、

糧に出来てる点もあるから、自分自身はへっちゃらだ。

けど、たまに。

「こっちだって理由があんだよ!」と思ったり、知ってる人からは甘く扱われたり、

この行為がとても良心的なものもあるし、「しゃーねーな」という目で見られたり。

人が自分に向ける行為に一喜一憂というか、自分勝手に解釈というか、

素直に受け入れられない時もあるというか、そう考えてしまう自分に呆れたりとか。

つまり、心と身体のギャップがぐるぐる言う時があります。


私の友達にも障害を持っている人はいます。

よくメディア障害者について取り上げられ、その人達の力強さに励まされ、

考えさせられます。

そして、その障害者の方はそんは自分を「全然問題ない」といってます。

私も勿論同感です。

けど、本当に本当に正直に本音を言うと、この身体はなんらかの波紋を呼び、

それがとても痛い事もあります。

気持的にも凄いマイナス思考に襲われたりもしました。


ただ、コレは来るべき事でもあるんだろうな、とも思ってました。

きっと意味がある。

数え切れない人類の、その少ない確率の中になぜ「自分」があてはまったのか、

自分に巡り、その身体で「普通」をいう大きな壁に立ち向かう。

簡単になんてこなせない。けど、こなす。何故こなせる?

こなせるまでやり切ったから。それの繰り返しでここまで来た。


これがきっと私がこの身体で生まれた意味だ。


私が出来た事を、他が出来ないなんて言わせない。

それは、出来ないんじゃなくて「やってない」事だから。


そう思えるのは

「今までの積み重ねが無かったら、他の人なら一項目分でくたばってるで

あろう事をなんだかんだとやり遂げてる」という自信。

ちゃんと出来る事もあるんだ、と自分で掴んだ確信。

こういう気持ちって、経験して生まれた発想なんですよね。

完全無欠な健常に生まれてたら、こういう当たり前をないがしろにしてたかもしれない。

たとえわかってても、痛感までは感じれなかったかもしれない。

「身体だけじゃない障害」は、こういう事もあるかもしれません。


世の中、とても便利になっていて、

好きな事だけ一発変換で選択でき、嫌な事を後回しにしている結果、

「自分にとってのいい事」しか見えず、

考える事への意識が痩せてしまってるように思います。

表現者などスポットライトに当たってる人を見て「いいな」と思うだけで

その人に照明を当てているスタッフがいる「光の過程」を感じられず

内面を表現したいけど、どうしたらいいのかわからなくなって

極端に犯罪に走ったり、自分の命を消したりしてるように思えてしまいます。


ある本で「考えないという傷」という言葉があったんですが、

見逃す事、考える事をしないのって、楽をしてそうで

実はとても痛いことだなと思います。

体についた傷は、時間が経つと跡は残っても痛みは治まるけど、

心の傷は、跡は見えなくても傷の意味をより深く考えたりできる分

更にその意味に気付いてまた傷つくから、何度でも痛む。


反面に得た事もあって、その想いは生まれ変わっても持っていたいです。

私は身体だけで人を見比べたくない。

心の障害をもってる人はもちろん居ます。環境が生んだ障害、先天的な障害。

けど、無意味な障害を自分で作り、それを発信して傷つけるのは

「障害」じゃない。自分勝手です。

罪の意識の無いまま加害者になってます。


障害を持っているから、家庭環境がワケありだとか、

事情があるからだとか、自分にとっての弱い部分を武器にするのは

私は絶対同情しない。

荒れて、すさんで、どうせ自分なんて……と思ってる人は、何を基準にそう思うのか。

気持ちはわかるけど、その痛みは本当に自分だけの痛みなのだろうか。

人と関わってる以上、周りの人の「痛みを解ってあげられない」という

痛みを知ってるのか。

痛いと思うなら、その痛さって分かるものじゃないの?

痛みを分け与えて自分の痛みが治まるのなら、とっくに痛みなんて消えてるはずだ。

それに手を差し伸べてもらえた事が本当に無いの? 優しさに触れた事は無い?

ありがたいな、うれしいなって思えた時も無いかな?

もしあったら、その気持ちはどうしてあなたに届いたのでしょうか。

与えてくれた人は、どうしてあなたが「うれしい」と思える事をしてくれたのでしょうか。


人それぞれ生き方って違うから、この発言に納得いかなかったりとかするでしょう。

だからこそ辛口でも言わなきゃない事は言わないと、

知らないでいる事の方が不親切だと思う。

納得してというのではなく、知って欲しいのです。

そこから自分の考えを創ればいいし、それこそが「自分」なんだから。


ただ痛むだけじゃダメだ。

生まれたからには、自分にエールを送れる自分じゃなかったら意味ないですよ。

痛いなら、自分を傷つけちゃダメだ。

その感覚は、あなただから得た感覚なんです。とても意味のある事だと思います。

それを形にしたり伝えたりする事は、とても説得力があるし、

今抱いてる気持ちは、誰かにとって必要な事でもあるんです。

人が持っていない感覚を持っているというのは

それだけ人と関わって生きている証拠でもあるんだから。


だから、今が不安定で“どうしよう”と思ってる人に

どうか乗り越えてください。

いや、一緒に乗り越えていきましょうよ、って言いたいです。

越えられないと思うのは、それをまだ経験しきってないだけ。

乗り越えられないなんて限界を決め付けないで、

もっと自分を信じてあげてください。そう思います。

そしてこれは各問題の氷山の一角で、もっと根底のものも世の中にはあふれてます。

2009-01-12

| 母 - キリトリセン のブックマークコメント

「母」という存在は人によって「好き」「嫌い」に分けられている。

母といわず人間そのものについて、そうなんだろう。

私には「好きハハ」と「嫌いハハ」がいる。

二人は別人です。

私の母は、私が中学3年の時にガンで亡くなった。

14 歳だったけど、その年15歳になるので「中学3年」の時と表記。

母は私が小学6年あたりに体調不良を訴え、中学になって入退院を繰り返し、

3年の七夕の日に亡くなった。

自宅が自営業だった為、母はずっと自宅にいた。

子供時代は共働きの人より親との接触はあった。

親の仕事を目の当たりで見る分「仕事する母」をも知ってる。

家事は兄弟で当番を決めてやってたりもしたし、

業種が「職人」の要素がある為に従業員が雇えないので、仕事の手伝いもしてた。

小学校から中学校にあがり、まったく環境がかわる状況の時に母が倒れた。

最初は「お母さんがいない分、頑張るぞ!」なんて、家事も仕事も学校も頑張った。

けど、いつになっても変わらない現実。

入退院は幾度となく繰り返す。

これっていつまで続くの?

仕事や家事で学校を休む事も多かった。

授業についていけず、成績がどんどん落ち込んでいった。

部活も一時休部した。

思春期絶好調もあってか、この苛立ちは母へ向けられた。

直接何も言わなかった。

ただそっけなくなり、看病に行く回数が減った。

母は、包装紙の裏に私宛にメッセージを書いてよこした。

色々書いてあったけど、内容は「頑張って早く退院するから」という事だった。

その時点で、父は母の余命を知っていた。

のちに母は意識不明になり、自呼吸が出来ず、

親族は24時間体制で看病が許可された。

私も徹夜で看病した。今更だった。

母は眠りながら、時折涙を流した。

「お母さん」と呼んでも、返事はない。手を握っても、握り返さない。

「……お母さんじゃないみたい」

そう思った時、気づいた。

私が反抗してしまったのは「お母さん」をやってくれてなかった事に対してだった。

そして「お母さんを“やる”って、どういう事よ!?」と呆然としてしまった。

ご飯を作って、仕事をして、家にいる人を「お母さん」としていた。

病に倒れ、ベッドに横たわってる母を見たくなかったんだ。

私は末っ子なので、母の余命を一番遅く知らされた。

ショックが大きく無いようにという配慮だったが、

それは残りを見届ける期間も一番短い事だ。

たとえ、なんとなく気づいていたとしても。

母との最後の会話を覚えていない。どの時が母との最後だったか分からない。

ただ確実なのは、母が見た私の最後の姿は、笑ってなかった。

どこまでも認められなかったのか。

久し振りに学校に行った直後に「危篤」の連絡が入り、

皆心配してる時に「じゃーね」と帰った。

帰宅し、おばさんに「今日か明日だから準備して」と言われ、

「……まだ生きてるのに」と、母が死ぬ準備をした。

訃報が来たとき、姉は悲鳴をあげたのに、「わかった」と言って、病院に行く支度をした。

お葬式では泣かなかった。

「元気そうで安心したよ」なんて言われた。妙に冷静だった。

何日かして。

例の手紙を父に読ませた。

母直筆のもの。私しかもらっていないものだった。

姉なんかは看病に行っても「しっかりしなさい」等、厳しい事を言われ、

手紙どころか、直筆モノも無いと言っていた。

読み返した。

もう一度読み返した。

そして、腑に落ちた。


「大切な人を失った」


その時初めて大号泣した。

あまりに号泣したので、父親が私の部屋に入ってきた。

もの凄く狂う位に泣き、その日は父の隣で寝たはずだ。

ただ夢中だったのか、ただ混乱していたのかは分からない。

けど、今でも思うのは、

自分中心に考えてた。

周りを見ていなかった。

目の前しか見てなかった。

ずっと先を見てなかった。

私の人生史上の中で一番後悔してる事だ。

この事を想うだけで一気にこみ上げる。

人は「後悔、後悔」と言うけど、本当の後悔は気軽に「後悔」なんて言えない。

正常でいられない。この気持ちから逃れたい。

望みが叶うなら、あの時に戻して欲しい。即効。もう、こんなの嫌だ。

だから後悔であって、もうこんな気持ちを味わいたくないから、後悔したくないんです。

母が居なくなってから、色々あった。

年齢の近い兄弟は受験だの就職だのが毎年繰り返され、

家の仕事も手伝う、家事もする、いつまでも。

各自が疲れてた。疲れきってるけど続行しなければならない。

みんな10代はじめからこんなんだった。

私は高校から神経性胃炎から他の病気やらが次々出てしまった。

父も1度入院した。

病院から逃れなれなかった。

徐々に「家」に対して嫌気がさしてしまった。

「家族」が、狂いだしてきた。

試行錯誤が繰り返され、私が家事を「バイト」として担当することになった。

姉や兄は就職となれば万全に家事ができるわけもなく、それでなくても新人だ。

私もこのカタチになって吹っ切れ、週に2日の夕食の準備以外は家事にいそしんだ。

やっとうまく流れてきた所で、私の就職の時期がきた。

みんなが思った。「これからどうなるの?」

父はもう、本当の限界を感じていたのだろう。

再婚することになった。

理由は、わかる。

父は母というポジションを、家族の「犠牲」な存在にしたくなかったんだろう。

理由は、わかるよ。

姉、兄は賛成した。大人としての「承諾」だった。

私は反対した。

幼少ならまだしも、今更と思った。

恋愛感情があってのものなら、口出ししないがそうじゃなかった。

何よりも「母親」という存在を痛いくらい実感してる私にとって

母という「職業」に就きに来るように思えて、どうしても嫌だった。

人は、職業じゃない。

でもそれは実行された。

再婚者は母のイトコだ。

でも、どんな人か知らない。小さい時に1回くらい会っただけだ。

母のせいで家族が! ってならないように、家事をしてた。

完璧じゃ無かったけど、少しでも守りたかった。

でも、母の席に座っているのは別人だ。

生活習慣も違う他人が突然家族となり、

ある程度予想してた生活のずれや、人間関係のずれが見え隠れした。

それは恋人同士で結婚して生活をし始めたら、また新たに見えた部分や

結婚はゴールじゃなく、障害物競争のスタートみたいなものと同じく、

トラブルはあって当然。それは別に抗議しない。

ただ、うちの場合は「世間体」も引っかかってきた。

ありとあらゆる葛藤が襲いかかり、私は精神的にめちゃくちゃになっていった。

左手をカッターでズタズタに切り裂いた。

意識がもうろうとしてて、バイク事故も起こした。

私の20歳の誕生日は病室だった。

吐き気がものすごく、でも吐けず、トイレの近くで布団にくるまって

いつでも吐けるようにうずくまってた。

家にも帰らなくなった。

父としては義母と私が一番仲良くなってくれれば、と思っていたそうだ。

私が一番母親と接する時間が無く、受験やら就職やら

いつもタイミングいいんだが、大事な時期に限って事の波が大きかったし、

体の件で、兄弟の中で家に長く残る事になるであろうと危惧していたから

暮らしていく以上、家族になって欲しかったそうだ。

もう、意識と体がかみ合わない状態だった。

正論だけど、異議を唱える理由もあったし、認められない自分が嫌で

我慢してまで従ってたら「仮面」でしか無いじゃないかとか。

・・・・・・このままでは今度は自分以外を傷つけてしまう事になりそうだった。

・・・・・・・・・・・・・・・止めなくては。

私は家を出る決心をした。

ある意味、逃げもあった。

けど、それなりのリスクを背負うものじゃなければ家を出る意味が無かった。

10 代をずっと家の事で終わって、自分は一体何なんだ? と思ってたから

誰も自分の事を知らないところで、どの位やれるのか

いい機会だから、納得して自分をたたき出そうと思った。

義母の事はいつか認められる時期も来ると思うから

その時間を持たせて欲しい。かえって離れた方が話せる事もあるかと思う。

こちらの言い分を全て言い、納得してもらい、私は上京した。

わたしが居ない間、色々あったらしい。

姉がアパートに来て「東京に来たい」とつぶやいた。

当時、上京生活もかなり過酷だったので

「目標がないとここではやっていけない」といった。

考えてみれば変だった。姉の発言は。

義母が豹変したらしかった。

その場に私がいないので不用意に言えないが、親戚を巻き込んでもめたらしい。

父は数年間家の外をろくに出歩けなかったそうだ。

そのうち、義母が持病で手術したらしかったが、私と親戚には事後報告だった。

あまりに数多くあって、今でも怒りが込み上げそうだからやめとく。

私が休みの時に帰った時はそんなそぶりは無かった。

たまに帰って来た私には、休ませる意味で見せて無かったのだろうし、

「仕事だけで大変なのに、心配させたくなかった」という言い分だった。

とにかく、私が戻った2日後に親の大喧嘩がはじまり、

姉、兄は「いつものことだ」と言ってた。

ショックだった。

よくなるどころか、仮面家族になってた。

母が居なくなって、荒れた家でも意見をいいあう空間はあった。

でも、ここは互いを探り合う、いやらしい家になってた。

事情を知ってる叔母に事の真相を聞き、

「私が出て行ったのが原因なのだろうか?」と相談したら、そうでもなかったらしい。

ここでもいろいろあるんだけど、

友達には「あの東京時代の方が良かったんじゃないの?」とまで言われた。

私は義母とは半年過ごして以来、5年以上離れていた。

5年前の家のものは「母」が居た頃の記憶の方が鮮明で

何が増えて何が消えたか一発で確認できた。

もちろん変化は当然で、覚悟して出たが、同時にどこが狂ったかも見えてしまうので、

「あれ、どうしたの?」という今まで普通だった質問事項が

今では禁句になってる事に、不快感を覚えた。

過去に捕らわれるつもりはなかった。

けど、あまりにもひずみが生じ、何故そこまで変わってしまったか

見過ごすわけにはいかなかった。


・・・・・・守りたかったものが、どんどん消えている。


義母も、後妻という立場、しかも自分のイトコのダンナと子供。

母に負けたくないというのもあるだろう。

それ相応の苦労もわかるし、義母の人生もいろいろあってここまで来たはずだ。

上京前、父にこう言った、

「その人はお父さんにとって“奥さん”だけど、私にとっては“お母さん”じゃない。」

私は“母”のおなかから産まれたんだから。

上京時代、姉に手紙を出してた。

「私は義母のことを“お母さん”とはどうしても呼べないけど、

もし、兄弟誰かに子供が出来たら“おばあちゃん”にはなれるよ」と。

“お母さん”は“血”ではおばあちゃんだけど、

時を刻み接し、知識なんかを詰め込む“育て”のおばあちゃんになれると。

本心だった。

家がもめた時、この手紙が義母に渡されたらしい。

帰郷し、一緒に住んではいるが、さらに過酷になった。

あまりにも不条理な事で一方的に責められ、話し合いをしても改善されなかった。

本気の怒鳴りあいもした。

結果、サジを投げた。

お互いを知らない者同士が家族になるというのは、生半可な態度では潰れる。

何のために一緒になるのか。

それは一緒にいたいからという理由なのか、

行く場所がないからなのか、

世間体のためなのか、

何故、その人を必要としたのか。

誰もこうなるつもりで選択してきたのではない。

わかるからこそ、結果に繋がらないのが悲しい。

今年で10年。まだまだ溝はあるけど、どこで引いて、どこで引かないか、

何かが吹っ切れ、何かは認め、何かは絶対認めないけど、

10年の歳月があって今があるのには変わりない。

人は影響力だ。

たかがひとり、されどひとり。

人とは誰でもめぐりあえる

けど、分かり合える人はどれだけいるのか。

今、私には

事後報告になるネタもある

一生言わないネタもある

誰かに苦しめられてる

誰かを苦しめてる

誰かには心を許し

誰かには秘密にし

誰かを恨み

誰かを許し生きてる。全て一度は経験した事なのに、またしてる事だ。

ただ、違うのは「責任」。

その経験の先の感情を知ってる以上、私があえてそうしている行動は

覚悟があっての事と言ってもいい。

この気持ちに揺らぐようでは覚悟が足りて無い事だ。

気持ちは揺らいでいない。

結果、どう流れていっても私は立ち向かう。

今までの経験を無駄にしない事、立ち向かわせる勇気と変えてここで浄化させる。

あの経験があったから、乗り越えられたと言わせてみせる。

家の事も、人に対してサジは投げたが、かといってあきらめたわけではない。

洗脳するとかじゃなく、行動して結果で理解してもらえるようにしていく。

見せていく事で、やりきる。言ったこと、嘘じゃないという事を。

今回、あえて自分の私情を持ち込んでまで書いたのは

私のこれからの人生、「母」が居ない時間の方が多くなり、

住んでいる自宅に母が居た時間より「義母」が居る時間が長くなり、

あと少しで「義母」がいる時間の方が長くなり、どんどん更新していくから。

これはもう現実。

過去にしがみついてるというのではなく、

過去があって今があり、今から未来が始まるから

直視しなければならないと思ったからだ。

今、問う。


私は


あなたは


自分が消えても、

どこかで生き続ける人間になっているだろうか。

2008-08-17

聞くことも閉じることも

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何でも軽々しく言うべきじゃないもの、自己処理で留めるべきのもの。出来事に対して比重があるけど、それを言わないのは心を開いていないとかじゃなく、気持ちを言う事が心を開いてる事であるんだな、と。

心を聞いてもらえる相手がいて、心を汲んでくれた事が何よりも嬉しいものだし。

逆に私もそういう事があった時に「何で黙ってたの!」というのではなく、黙ってた事の苦痛とか、それを超えて打ち明けてくれたことの意味とかを汲んで同じ事が言えればな。