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キリトリセン

2009-01-15

この体で生きる意味

| この体で生きる意味 - キリトリセン のブックマークコメント

あるサイトで、障害者の団体の活動が紹介されてました。

行動するのってすごいですよね。

思ってるだけじゃ、伝わらないから行動する。

これは何かを伝えたい行動なんでしょうね。


今回、一意見ではありますが、

この身体で生きてる「意味」を「体感」という形でちょろっと書こうかな、と。


私は普通の身体よりちょろーっとワケありな部分があります。

いや、全然元気に普通に生活してるんで、重病とかそんなんじゃ無いですよ。

でもそのちょろっとは時に「差」を生む事も正直です。


やっぱり生活の中でキッツイなーと、立ち止まってしまう事もしばしば。

ちょっとブレイクしてからじゃないと、万全に対処は無理って時が無くも無く。

そういう時全然理由を知らない人からは

「ちゃんとやれ」とか「出来ないのか」とか言われてしまったりもする。

その事に対してしょげる気も無いし、挽回すればいい事だし、

糧に出来てる点もあるから、自分自身はへっちゃらだ。

けど、たまに。

「こっちだって理由があんだよ!」と思ったり、知ってる人からは甘く扱われたり、

この行為がとても良心的なものもあるし、「しゃーねーな」という目で見られたり。

人が自分に向ける行為に一喜一憂というか、自分勝手に解釈というか、

素直に受け入れられない時もあるというか、そう考えてしまう自分に呆れたりとか。

つまり、心と身体のギャップがぐるぐる言う時があります。


私の友達にも障害を持っている人はいます。

よくメディア障害者について取り上げられ、その人達の力強さに励まされ、

考えさせられます。

そして、その障害者の方はそんは自分を「全然問題ない」といってます。

私も勿論同感です。

けど、本当に本当に正直に本音を言うと、この身体はなんらかの波紋を呼び、

それがとても痛い事もあります。

気持的にも凄いマイナス思考に襲われたりもしました。


ただ、コレは来るべき事でもあるんだろうな、とも思ってました。

きっと意味がある。

数え切れない人類の、その少ない確率の中になぜ「自分」があてはまったのか、

自分に巡り、その身体で「普通」をいう大きな壁に立ち向かう。

簡単になんてこなせない。けど、こなす。何故こなせる?

こなせるまでやり切ったから。それの繰り返しでここまで来た。


これがきっと私がこの身体で生まれた意味だ。


私が出来た事を、他が出来ないなんて言わせない。

それは、出来ないんじゃなくて「やってない」事だから。


そう思えるのは

「今までの積み重ねが無かったら、他の人なら一項目分でくたばってるで

あろう事をなんだかんだとやり遂げてる」という自信。

ちゃんと出来る事もあるんだ、と自分で掴んだ確信。

こういう気持ちって、経験して生まれた発想なんですよね。

完全無欠な健常に生まれてたら、こういう当たり前をないがしろにしてたかもしれない。

たとえわかってても、痛感までは感じれなかったかもしれない。

「身体だけじゃない障害」は、こういう事もあるかもしれません。


世の中、とても便利になっていて、

好きな事だけ一発変換で選択でき、嫌な事を後回しにしている結果、

「自分にとってのいい事」しか見えず、

考える事への意識が痩せてしまってるように思います。

表現者などスポットライトに当たってる人を見て「いいな」と思うだけで

その人に照明を当てているスタッフがいる「光の過程」を感じられず

内面を表現したいけど、どうしたらいいのかわからなくなって

極端に犯罪に走ったり、自分の命を消したりしてるように思えてしまいます。


ある本で「考えないという傷」という言葉があったんですが、

見逃す事、考える事をしないのって、楽をしてそうで

実はとても痛いことだなと思います。

体についた傷は、時間が経つと跡は残っても痛みは治まるけど、

心の傷は、跡は見えなくても傷の意味をより深く考えたりできる分

更にその意味に気付いてまた傷つくから、何度でも痛む。


反面に得た事もあって、その想いは生まれ変わっても持っていたいです。

私は身体だけで人を見比べたくない。

心の障害をもってる人はもちろん居ます。環境が生んだ障害、先天的な障害。

けど、無意味な障害を自分で作り、それを発信して傷つけるのは

「障害」じゃない。自分勝手です。

罪の意識の無いまま加害者になってます。


障害を持っているから、家庭環境がワケありだとか、

事情があるからだとか、自分にとっての弱い部分を武器にするのは

私は絶対同情しない。

荒れて、すさんで、どうせ自分なんて……と思ってる人は、何を基準にそう思うのか。

気持ちはわかるけど、その痛みは本当に自分だけの痛みなのだろうか。

人と関わってる以上、周りの人の「痛みを解ってあげられない」という

痛みを知ってるのか。

痛いと思うなら、その痛さって分かるものじゃないの?

痛みを分け与えて自分の痛みが治まるのなら、とっくに痛みなんて消えてるはずだ。

それに手を差し伸べてもらえた事が本当に無いの? 優しさに触れた事は無い?

ありがたいな、うれしいなって思えた時も無いかな?

もしあったら、その気持ちはどうしてあなたに届いたのでしょうか。

与えてくれた人は、どうしてあなたが「うれしい」と思える事をしてくれたのでしょうか。


人それぞれ生き方って違うから、この発言に納得いかなかったりとかするでしょう。

だからこそ辛口でも言わなきゃない事は言わないと、

知らないでいる事の方が不親切だと思う。

納得してというのではなく、知って欲しいのです。

そこから自分の考えを創ればいいし、それこそが「自分」なんだから。


ただ痛むだけじゃダメだ。

生まれたからには、自分にエールを送れる自分じゃなかったら意味ないですよ。

痛いなら、自分を傷つけちゃダメだ。

その感覚は、あなただから得た感覚なんです。とても意味のある事だと思います。

それを形にしたり伝えたりする事は、とても説得力があるし、

今抱いてる気持ちは、誰かにとって必要な事でもあるんです。

人が持っていない感覚を持っているというのは

それだけ人と関わって生きている証拠でもあるんだから。


だから、今が不安定で“どうしよう”と思ってる人に

どうか乗り越えてください。

いや、一緒に乗り越えていきましょうよ、って言いたいです。

越えられないと思うのは、それをまだ経験しきってないだけ。

乗り越えられないなんて限界を決め付けないで、

もっと自分を信じてあげてください。そう思います。

そしてこれは各問題の氷山の一角で、もっと根底のものも世の中にはあふれてます。