Hatena::Groupfragments

キリトリセン

2009-02-09

ベクトルの行方

| ベクトルの行方 - キリトリセン のブックマークコメント

「頑張ってる人に頑張れっていうのは失礼」


という意見はそんなに賛同できない。

その人の頑張りが足りないから頑張れという意味にもなるだろうけど、

頑張っているなら、じゃあ頑張ってね! って思える。

「こんなに頑張ってるのに何で認めてもらえないんだ、成果が出ないんだ」って

思ってた事もあったけど、 (いや、今も思うものも沢山もってるけど)

それは自分なりの頑張ってる位置であって、

これを達成するにはこの位頑張らないと届かない頑張りがある。

辿りついた人は、辿りつく為に必要な努力をしてふんばって辿り着いているんだ。

両手を広げた指先のもっと先に触れたいものがあれば、

背伸びをするなり力を出すだろう。 それが届くために必要な頑張りだ。

広げた指先の距離で触ろうとしても空を切るだけ。

そこで触れないと言ったって触れる訳が無い。頑張る場所が違う。

空を切る動きをするなら、もっとする事があるでしょう?

だから、その頑張りは先に届くための頑張りか認識する目が必要。

自分だけでは固定観念で気づかなかったことも、多角で発見する事だってある。

だから私はここで頑張っている。そう宣言していいじゃないか。

言わないと意見すらもらえない。言われないと意見も言えない。

どうせやるなら達成したい。

達成した時に自分だけ達成感を味わうんじゃなく、一緒に達成感を味わった方が

数段嬉しいし、意見や励ましなどのエールがあってこそという慈しみだって生まれる。

それは足りないという未熟さから生まれた根強さがある。

もし達成できなくても、何が足りなかったのかを認める方が、

次への糧にして別の場所で浄化できるかもしれない。

何で出来なかったの! こんなにやったのに! なんて負け犬の遠吠えに聴こえる。

よっぽど滑稽でよっぽど恥ずかしい。

頑張ってる人は目標に向かってるから頑張れる人。

だから頑張れってエールを言っていいじゃん。

その言葉に重さを感じる事もあるけど、その重さの分、意味ある事じゃないって思える。

この文章を書くキッカケは某友達から届いた手紙にあった

「アンタらしいね。やっぱアンタはアンタだね」という一節。

破天荒だったり、うーん、ぐったりと無謀な事ばかりしてますが、

経過を見てればその行動の意味が納得できるという意味合いを汲んでくれているので、

「決して正しいとは言えないけど、こうしないと納得しないんでしょ、アンタは。

なら、それでやっていけばいいんじゃないの」と見守ってもらえてる。

なので、キレイゴトに思われようが何だろうが、

私はこう思いますが、あなたはどうですか? というスタンスでいい。

あなたもそうしてくださいなんて、それこそ何様だわ。

どれにつけても決定権は誰もがもってる。

2009-01-31

手渡す想い

| 手渡す想い - キリトリセン のブックマークコメント

皆さんはどの位メールアドレスを持ってますかね?

ま、何かに登録するとオプションフリーメールがついてくるってのが多いから

結構な数を持ってるって人もいるでしょうね。

こうもメールが普及して、全国津々浦々、タイムラグ無く連絡が取れる時代だけど、

今でも「なかなか会えない」「連絡が少ない」というのがありますね。

逆にメールですら返信のひとつで浮き沈みする時代。

連絡依存症になりつつあるなーと感じる事もあります。

そんな訳で私もしこたまメアドを持ってますが、メアドを教えてない友達もいます。

メアドを知ってても、あえて手紙でやりとりしてる友達もいます。

遠方の人たちなのだけど、その人たちとは連絡依存になりたくない友達でもあり、

ほぼ「事後報告」が多い連絡だけれども、メールよりも一番心を込めて、

しっかり文章を書いています。こういう連絡もありだな、って思うようになりましたよ。

友達というのは、色々パターンがあるわけで、

地元で会おうと思えばすぐ会える人、計画してじゃないと会えないような人、

色々いるわけで。

お互いに連絡が少なくなっていても、いざという時には頼れて、一緒に悩んで、

バカ話もしたり、結果だけを報告することもあったり、逆に何も言わない事もある。

こう書くと「自分の都合のいい時だけ頼ってくる」なんて思う人もあるでしょうが、

自分の心一つで相手の心も変わるものです。

いちいちそうやって人の目を気にしてはいられません。

こっちの都合で言ってスッキリしたとして、実は相手が大変だって時期もあるし、

誰に言った、言わない、信用する、しないの問題じゃない。

全員の意見を全部聞き入れてたら、誰の願いも叶えまくって

つじつまが合わなくなる神様と同じ(ブルース・オールマイティ)。

そうじゃなくて、お互いの気持ちを分かり合っていれば、

距離は関係なく本当の友達でいられるんじゃないか。

たとえ毎日会ってても、影で悪口言っているよりも、何倍も思いやってると思う。

傷を舐めあう同士ではなく、お互いに叱咤激励・成長しあえる関係。

そういう、自分に必要で、自分を必要としてくれる間柄が、

かげがえのない間柄になると思う。

リアルタイムな人付き合いは、沢山の仮面をかぶり、殻をかぶる。

それは流れる時間の共有を円滑に流れる為の法則でもある。

信用してるしてないとかじゃなく、そこで心ってヤツを養う事でもある。

いい意味、緊張感にも周りを見る事でもある。悪い事じゃない。

でも、仮面は時として息苦しい。本音を言いたい。

その本音を言ってしまったら、ここで呼吸し続けられなくなる。

言いたい。そういう衝動に駆られる。

そして、あなたも言って。本音を。

大丈夫。ここだけの話だから安心してよ。

だから手紙のやりとりで語る。

筆圧で感じ、文字の最初と最後の状態で読み、何度も読み返す。

人によってはメールアドレスを教えないなんて、と思うかもしれない。

でも、送ったつもりでも着信拒否で安易に返される事もあるメール、

万人同じ書体で、複数に同時送信できるメール。

それよりも一人当てにキチンと書きたい。よっぽどリアルタイムより心を見せている。

こういうつながりもありだよ。

この世の中だからこそ。

2009-01-26

ジレンマ

| ジレンマ - キリトリセン のブックマークコメント

寒さに震える二匹のヤマアラシ

くっつきすぎると針で傷つけあい

離れすぎると寒くてたまらない


試行錯誤の結果


傷つけあうことなく暖のとれる距離感を見つけたという教訓を胸に

適度な距離感を保つことを学ぶ。

でも、それが望む結果?

2009-01-18

ひとり

| ひとり - キリトリセン のブックマークコメント

人は思ったほど人を見てない

人は思ってた以上に考えてる



正面に人がいないと、焦点があわない

聞こえてくる会話が余計に一人を感じさせる

時間が、呼吸が、感じられない



人は思っている以上に弱くない

人は思ってるほど強くない

2009-01-15

この体で生きる意味

| この体で生きる意味 - キリトリセン のブックマークコメント

あるサイトで、障害者の団体の活動が紹介されてました。

行動するのってすごいですよね。

思ってるだけじゃ、伝わらないから行動する。

これは何かを伝えたい行動なんでしょうね。


今回、一意見ではありますが、

この身体で生きてる「意味」を「体感」という形でちょろっと書こうかな、と。


私は普通の身体よりちょろーっとワケありな部分があります。

いや、全然元気に普通に生活してるんで、重病とかそんなんじゃ無いですよ。

でもそのちょろっとは時に「差」を生む事も正直です。


やっぱり生活の中でキッツイなーと、立ち止まってしまう事もしばしば。

ちょっとブレイクしてからじゃないと、万全に対処は無理って時が無くも無く。

そういう時全然理由を知らない人からは

「ちゃんとやれ」とか「出来ないのか」とか言われてしまったりもする。

その事に対してしょげる気も無いし、挽回すればいい事だし、

糧に出来てる点もあるから、自分自身はへっちゃらだ。

けど、たまに。

「こっちだって理由があんだよ!」と思ったり、知ってる人からは甘く扱われたり、

この行為がとても良心的なものもあるし、「しゃーねーな」という目で見られたり。

人が自分に向ける行為に一喜一憂というか、自分勝手に解釈というか、

素直に受け入れられない時もあるというか、そう考えてしまう自分に呆れたりとか。

つまり、心と身体のギャップがぐるぐる言う時があります。


私の友達にも障害を持っている人はいます。

よくメディア障害者について取り上げられ、その人達の力強さに励まされ、

考えさせられます。

そして、その障害者の方はそんは自分を「全然問題ない」といってます。

私も勿論同感です。

けど、本当に本当に正直に本音を言うと、この身体はなんらかの波紋を呼び、

それがとても痛い事もあります。

気持的にも凄いマイナス思考に襲われたりもしました。


ただ、コレは来るべき事でもあるんだろうな、とも思ってました。

きっと意味がある。

数え切れない人類の、その少ない確率の中になぜ「自分」があてはまったのか、

自分に巡り、その身体で「普通」をいう大きな壁に立ち向かう。

簡単になんてこなせない。けど、こなす。何故こなせる?

こなせるまでやり切ったから。それの繰り返しでここまで来た。


これがきっと私がこの身体で生まれた意味だ。


私が出来た事を、他が出来ないなんて言わせない。

それは、出来ないんじゃなくて「やってない」事だから。


そう思えるのは

「今までの積み重ねが無かったら、他の人なら一項目分でくたばってるで

あろう事をなんだかんだとやり遂げてる」という自信。

ちゃんと出来る事もあるんだ、と自分で掴んだ確信。

こういう気持ちって、経験して生まれた発想なんですよね。

完全無欠な健常に生まれてたら、こういう当たり前をないがしろにしてたかもしれない。

たとえわかってても、痛感までは感じれなかったかもしれない。

「身体だけじゃない障害」は、こういう事もあるかもしれません。


世の中、とても便利になっていて、

好きな事だけ一発変換で選択でき、嫌な事を後回しにしている結果、

「自分にとってのいい事」しか見えず、

考える事への意識が痩せてしまってるように思います。

表現者などスポットライトに当たってる人を見て「いいな」と思うだけで

その人に照明を当てているスタッフがいる「光の過程」を感じられず

内面を表現したいけど、どうしたらいいのかわからなくなって

極端に犯罪に走ったり、自分の命を消したりしてるように思えてしまいます。


ある本で「考えないという傷」という言葉があったんですが、

見逃す事、考える事をしないのって、楽をしてそうで

実はとても痛いことだなと思います。

体についた傷は、時間が経つと跡は残っても痛みは治まるけど、

心の傷は、跡は見えなくても傷の意味をより深く考えたりできる分

更にその意味に気付いてまた傷つくから、何度でも痛む。


反面に得た事もあって、その想いは生まれ変わっても持っていたいです。

私は身体だけで人を見比べたくない。

心の障害をもってる人はもちろん居ます。環境が生んだ障害、先天的な障害。

けど、無意味な障害を自分で作り、それを発信して傷つけるのは

「障害」じゃない。自分勝手です。

罪の意識の無いまま加害者になってます。


障害を持っているから、家庭環境がワケありだとか、

事情があるからだとか、自分にとっての弱い部分を武器にするのは

私は絶対同情しない。

荒れて、すさんで、どうせ自分なんて……と思ってる人は、何を基準にそう思うのか。

気持ちはわかるけど、その痛みは本当に自分だけの痛みなのだろうか。

人と関わってる以上、周りの人の「痛みを解ってあげられない」という

痛みを知ってるのか。

痛いと思うなら、その痛さって分かるものじゃないの?

痛みを分け与えて自分の痛みが治まるのなら、とっくに痛みなんて消えてるはずだ。

それに手を差し伸べてもらえた事が本当に無いの? 優しさに触れた事は無い?

ありがたいな、うれしいなって思えた時も無いかな?

もしあったら、その気持ちはどうしてあなたに届いたのでしょうか。

与えてくれた人は、どうしてあなたが「うれしい」と思える事をしてくれたのでしょうか。


人それぞれ生き方って違うから、この発言に納得いかなかったりとかするでしょう。

だからこそ辛口でも言わなきゃない事は言わないと、

知らないでいる事の方が不親切だと思う。

納得してというのではなく、知って欲しいのです。

そこから自分の考えを創ればいいし、それこそが「自分」なんだから。


ただ痛むだけじゃダメだ。

生まれたからには、自分にエールを送れる自分じゃなかったら意味ないですよ。

痛いなら、自分を傷つけちゃダメだ。

その感覚は、あなただから得た感覚なんです。とても意味のある事だと思います。

それを形にしたり伝えたりする事は、とても説得力があるし、

今抱いてる気持ちは、誰かにとって必要な事でもあるんです。

人が持っていない感覚を持っているというのは

それだけ人と関わって生きている証拠でもあるんだから。


だから、今が不安定で“どうしよう”と思ってる人に

どうか乗り越えてください。

いや、一緒に乗り越えていきましょうよ、って言いたいです。

越えられないと思うのは、それをまだ経験しきってないだけ。

乗り越えられないなんて限界を決め付けないで、

もっと自分を信じてあげてください。そう思います。

そしてこれは各問題の氷山の一角で、もっと根底のものも世の中にはあふれてます。