2007-02-20
■ 山形さんと池田さんの論争の覚書

山形浩生さんと、池田信夫さんが、生産性と所得について議論をしておられました。それについて自分用解説も兼ねてまとめ、というか俺理解。コメント欄とかトラバとかはめどいんでほとんど読んでません。
最初に書いておくと、今まで見た感じでは山形さんの方に頷けます。というか、基本的には両方正しいのだけれど、池田さんが山形さんの理論を否定しようとしてる所は間違いだと思うのです。両立する理論っすよきっと。
一応用語説明メモ
- 生産性
- 人が働くことで生み出される価値。またそれを生み出す能力。
- 限界生産性
- あと一人従業員を雇った時、その人が生み出す価値。沢山人を雇うほど減っていくことが知られている。
- 平均生産性
- 総生産性を全労働者で割った生産性、つまり一人頭の生み出す価値。
- 賃金
- 給料。所得と使い分けられてなさそう。このまとめでは基本的に賃金で統一。
- 所得
- 給料。賃金と使い分けられてなさそう。「所得格差」と記す場合と、元記事タイトルでのみ所得を使用。
不適当だ、だとか、これについても書いた方が分かりやすい、とかあればお願いします。
流れ
- 山形『生産性の話の基礎』
- 『稼ぎ――つまり賃金水準』は、必要熟練度や個人の生産性などでなく、その社会の平均生産性で決まると説明。
- 決まるではなく、関連性がある、程度が良いと思う。後のエントリのメールで、ウィートンさんも『高い相関性がある』というように表現している。
- ここで言う『賃金水準』が、個人の物を指すのか、全体の物を指すのかで、後々揉める。池田さんは個人と取り、山形さんは後のエントリで全体のことだとしている。
- 私は、それまでの具体例は個別だったが、『水準』という平均を連想させる言葉を使う所から、全体のことだと取った。続くエントリの説明でその思いが強くなった。
- ここのコメント欄の『生産性って大事ですね』というコメントととかも参照。
- 他国の同職業間との所得格差は、熟練度の差よりも、各国の平均生産性差のせいで生まれている。
- 平均生産性は、突き詰めれば製造業の発展により向上させられる。
- そういわれればそんな気もするが保留。きっと大昔は農業で、近代くらいから製造業で、今後はまた別の業種が生産性の根幹になるんだろうな。
- 『稼ぎ――つまり賃金水準』は、必要熟練度や個人の生産性などでなく、その社会の平均生産性で決まると説明。
- 池田『生産性をめぐる誤解と真の問題』
- 賃金決定メカニズムをスタンダードな理論で説明しつつ、山形さんの理論は滅茶苦茶だとdisる。
- 滅茶苦茶ではなく、せめて、不正確だ、程度が妥当だったと思う。
- 賃金は、平均生産性ではなく限界生産性で決まる。
- 正しい、が、平均生産性と限界生産性は概念的には違っても実質的には近しいと思う。次に山形さんがツッコむ。
- ここで池田さんが言っている賃金は個人のもの。
- 他国との同業種間の所得格差は、各国の国内賃金水準の差で決まる。
- では、賃金水準差はなぜ生まれるか、については書かれていない*1。これも次に山形さんがツッコむ。
- わざと発生理由を書かない釣りだったらしい。
- では、賃金水準差はなぜ生まれるか、については書かれていない*1。これも次に山形さんがツッコむ。
- 賃金決定メカニズムをスタンダードな理論で説明しつつ、山形さんの理論は滅茶苦茶だとdisる。
- 山形『それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。』
- 確かに限界生産性が賃金を決定するけれど、マクロレベルでは限界生産性と平均生産性は同じでしょ? じゃあ結局同じことを言ってるんじゃない?
- 正しい気がする。追加の一人の生産量と、総生産量を従業員で割った数、ほぼ等しいと見て良さそう*2。
- 国家間の賃金水準の差がなんのために生まれるか池田さんは答えていない、とツッコむ。
- 山形さんは、別国家同業種間の賃金水準差に興味があるらしい。
- 一方、ここのコメントの『二律背反』とかを見ると、池田さんは同国家別業種間の賃金水準差、いわゆる格差社会に興味があるらしくて、ここでもすれ違いが。
- 国家間の所得格差は、各国の生産性の差による。
- 定説だとして、証明はしていない。
- 『クルーグマン教授の~』には確かにあったはず。このコメント欄の2007-02-16 00:15:54のもの参照。
- 確かに限界生産性が賃金を決定するけれど、マクロレベルでは限界生産性と平均生産性は同じでしょ? じゃあ結局同じことを言ってるんじゃない?
- 池田『生産性と「格差社会」』
- この辺から、当初『賃金水準』が個別を指していたか全体を指していたか、同国家の職業差と別国家の同業種差どちらに注目しているか、で食い違いが激しくなってくる。
- 個々の職業の賃金水準は、需要と供給の関係で決まるにすぎない。生産性なんて関係ない。
- しかし、山形さんの最初のエントリでも需給の話は出ていた。
- 追記も含めて、社会全体の平均生産性では、個人の賃金を説明できない、と強調。
山形fromdusktildawn『分裂勘違い君劇場 - 「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解してみました』- 平均生産性の変化が、需給関係に影響を及ぼし、生産性が変化していない職業の賃金もある程度は上がることを図解。
- 池田『賃金格差の拡大が必要だ』の追記2
- 平均生産性が個々の職業の賃金に同程度の影響を与えるわけではないから、山形さんの最初の意見を証明してはいない。
- ここでも、最初の『賃金水準』が個別職業のものを指すか、全体の物を指すかで食い違いが。
- コメント欄の『クルーグマン』というのを見るに、平均生産性と平均賃金水準の相関関係自体は、池田さんも認めている。
- 平均生産性が個々の職業の賃金に同程度の影響を与えるわけではないから、山形さんの最初の意見を証明してはいない。
- 山形『クイズ:経済学者3人にきいてみました。』
- 超偉い経済学者3人に、『全体的な賃金水準がその経済の平均的な生産性で決まる』が正しいかどうかメールをして、ほぼ肯定的な返事を得る。
- sirouto2さんが言うように、マンキューさんの後半部分などは、『賃金は限界生産性と等しくなる』という、池田さんと同じことを言っている。しかしそれは、山形さんの意見の否定を意味しない。山形さんは最初の反論でそこは正しいと認め、『池田さんは自分と同じことを言っている』としていた。
- とはいえ、池田さん「も」正しいと認められている、というのをボカし、総括で予防線程度に触れたりするのはズルい、大人気ない、という批判はできそう。
- 個々の職業の賃金は需給によって決まるし、同社会の同職業の個人の賃金こそは個人の生産性で決まる、と最初から言っている、と強調。
- 言ってた。『同じ社会の中での賃金水準は需給で決まる』の部分。
- 職業格差のことも、同じ職業のこともそれぞれ個別に説明していた以上、元から平均生産性で説明しようとしていたのは社会全体の賃金水準、と考えるのが妥当な気が。
- 超偉い経済学者3人に、『全体的な賃金水準がその経済の平均的な生産性で決まる』が正しいかどうかメールをして、ほぼ肯定的な返事を得る。
- 池田『山形浩生氏へ』
- 全体の賃金水準にすり変えた質問に、肯定的な返事が来るのは当たり前だ。元々は個々の賃金水準の話だったはずだ、すりかえるな。
- えー、すりかえてるかなあ……。最初から全体の賃金水準だったみたいなんですけど……後から書き換えたならともかく。まあ、事例の列挙などが、誤解を招きやすい構成だったというのはある、かも。
- 全体の賃金水準にすり変えた質問に、肯定的な返事が来るのは当たり前だ。元々は個々の賃金水準の話だったはずだ、すりかえるな。
感想、自戒、或いは野次
経済学の初歩って大抵こんな感じですけど、分析した結果が当たり前な話ばっかりで、正直『だから何?』という感じが抑えられません。もっとむずかしー内容になれば感嘆できるのだろうか。
結局一番心に残ったのは、山形さんが最初の記事で言っていた、経済学とは関係の薄い以下の二つだったり。議論って難しいわね、という話。しかしまあ、この展開を見越していたかのような文章である。誤解と誤解に対する不理解と理解したつもりがアカデミックツイスター。まさか池田さんと結託していて、予言者になろうと目論んでいるのでわわわわわ。
どんな議論を読むときでも、人がどのくらいの粒度で話をしているかは見極めなきゃいけないんだから。
だからそのときの議論をよく考えて、どこまで関係あるかをよく見極めなきゃいけない。逆に、人が何か議論を書いているとき、それがどのくらいのレベルまで考慮した話なのかはちゃんと考えておくれよ。同じ職種の中での比較なのか、同じ経済圏の中での相対的な立場なのか、あるいはもっとグローバルな話なのか。これを混同したら、生産的な議論は何一つ不可能だ。だから、十分に注意してほしい。多くの経済系アルファブロガーと称する人々でも、ここらへんのレベル分けは驚くほどできておらず、とんちんかんな議論をしたり顔でしているケースがままある。そして読む側も、それを(無知から)混同しておかしな議論をしていることがかなりある。書く側としてはなるべく誤解ないような書き方を心がけるけれど、このぼくが書く場合ですら、あらゆる条件をすべて記述しきるのは不可能だ。だから、そこらへんは読者のリテラシーとやらにおすがりするしかありませんや。よろしくね。
経済学的には、マクロ下で限界生産性=平均生産性が本当に成り立つのかどうか気になる。
相手がA、Bと言ってるのに、それに対する反論をB’、A’という逆順ですると分かりづらくなりますね。
経済学っていうのは、同じ事象についても色々なアプローチ方法があります。大抵、そのどれもが一長一短で、どれか一つに定められない気がします。なので、『自分の論はこれこれこんな風に正しい』と証明しても、相手が間違っていることに必ずしもつながりません。仲良く協力するか、相手の論のどこが間違っているのか指摘するか、が良い気がします。自説の正しさではなく他説の欠点を言い募る、なんて普通は良い事ではないですが、経済学*3は、自説の良さだけを言って張り合ってもキリがなさげ。限界生産性で賃金が決まることを説明しつつ、平均生産性で賃金が決まらない理由を言わない池田先生を見て、そう思いました。ただこれだと、全然頓珍漢に見える意見もある程度理解しようとしなきゃないんで大変ですけど……理想としては、そうあってほしい所。
ていうか仲良くしてくれ。
で、でも経済学は必要だよ! 必要だけど――to be continued...
賃金水準は、なにが決めるか。国ごとの賃金格差は大きなものです。4月になって国際貿易論を始めるに当たって、いまどういう議論がされているか、WEB上で調べていたら、「山形・池田論争」というものにぶつかりました。
2009年度の第1回目の講義では、こういう議論がWEB上であったということをまずは紹介して、考える手ががりにしてもらえればと思っています。その意味で、「山形・池田論争」に謝謝!です。
経済学のかなり根本的な論点が、blog間の論争になったということで、日本のblogの水準も大分上がってきたという印象をもちました。こういう論争は、もっとあってもいいと思います。そういう中から経済学の新しい知見が生まれるようになれば、日本の(日本語による)経済学もようやく本格的といえるでしょう。
論争を蒸し返すつもりはありませんが、ことのついでに、わたしのなりの感想をすこし書いておきます。
国際貿易論にとって「山形・池田論争」がどういうように関連しているかについては、最後の補足注を参照してください。
国別の賃金格差を説明するものとしては、山形浩生さんの説明で大体よいとわたしは思っています。詳しいことは、貿易理論論半期分の講義の内容ですし、とうてい展開できません。(昨年度[2008年度]の国際貿易論の概要は、
http://www.shiozawa.net/jugyo/kokusaiboekiron/kokusaiboekiron2008.htm
に掲示してありますが、添数などの処理がないので読みにくいことお断りしておきます。)
池田信夫さんの説明は、価格体系が存在して、その上で限界生産性が個人の仕事の成果として、かなり正確に計測できる場合はよいのでしょうが、それ以外の場合は「限界生産性」という概念自体がかなり曖昧あるいは定義困難なものだと考えます。
子飼弾さんの、新説「賃金水準は、生産性で決まるんじゃない。社会の消費性で決まるんだ。」というのは、賃金水準の決定法則としてはなく、生産性の定義としては、重要なところを突いているとおもいます。
子飼さんのblogへのコメントの中でosakaecoさんが、わたしの古い論文「スラッファと不況の理論」(1978)に言及してくれています。この中でわたしは「生産性」という言葉は使っていないとおもいますが、この論文の批判の対象は「限界原理」でした。
不況になれば、社会の需要が減少し、ここの企業に振り向けられる需要も一般には減少ます。そうなると操業率が下がらざるをえず、労働を雇用労働人数で計れば、労働生産性は減少します(経営者が労働時間を完全に伸縮させることができるならば、労働生産性は変わりませんが、少なくとも一人当たりの1月あたり産出額/付加価値額は減少します)。
この意味で、生産性を左右する非常に大きな要因が需要です。子飼さんのいう「消費」は、定義を見ると「貯蓄も消費に含めている。お金の行き先を決める行為は、すべて消費ということにしている。」ということですから、普通の意味の需要/有効需要です。そうすると、子飼さんの主張は
「不況期に生産性を決める最重要な要因は、有効需要の大きさである」
ということを言っていることになりくます。わたしの立場からは大変正しい、重要な主張です。
なお、ついでに言っておけば(熱心な支持者たちからの反論必死ですが)Prescotらの実物景気循環論(Real Business Cycle Theory)で、不況期(のとくにその初期)に生産性が落ちるのは当然のことです。これを実物景気循環論は、生産性の変動という技術ショックによって景気循環が起こるといいますが、少なくともこの関係についていえば、因果関係は逆でしょう。
補足注:国際貿易論は、ふつう貿易パタンとか貿易収支を研究する分野と考えられていますが、この理論のもっと重要な役割は、なぜ国によって実質所得水準≒賃金賃金水準に大きな差がでるかを説明/解明することだと、わたしは考えます。
この意味で国際貿易論を分けますと、基本的には
①リカード・スラッファ型貿易理論
と
②ヘクシャー・オリーン・サミュエルソン型貿易理論(HOS理論)
の二つしかありません。
1970年代以降、山形さんの先生でもあるKrugmanなどが、貿易理論に収穫逓増を持ち込んで、産業内貿易の理論を作った(新貿易論)。1990年代以降は、アウト・ソーシングや中間財貿易の理論が発展してきた(新新貿易理論)。という状況がありますが、新貿易論も新新貿易論も、部分理論で、各国の賃金水準がどう決まるかを理解するような枠組みにはなっていません。
大学では、ふつう、①のリカード理論にちょっと触れて、そのあと②のHOS理論がより近代的な理論として紹介されています。なぜ、リカードでは不十分かというと、そこでは労働投入しか想定されていないからです。しかし、現在では、わたしの論文が示すように、任意の国の数、任意の財の数、同一財に関する複数の技術とその選択を許す場合に、リカード型理論(正確にはリカード・スラッファ型理論)が開発されています。
Shizoawa, Y. 2007 "A New Construction of Ricardian Trade Theory?A Many-country, Many-commodity Case with Intermediate Goods and Choice of Production Techniques?" Evolutionary and Instituionary Economics Review Rev. 3(2): 141?187.
http://www.jstage.jst.go.jp/article/eier/3/2/141/_pdf/-char/ja/
二つのうち、どちらがより現実に近いかというと、この判定はなかなか難しい事情がありますが、クルーグマン&オブズフェルト『国際経済』Ⅰ国際貿易(第3版) p.106に言及されているように「純粋なヘクシャー=オリーン・モデルについてはいまのころ経験的に強い反証が存在」します。
しかし、重要なのは、二つの理論の分配ないし実質賃金水準の決定に関する結論部分です。
①は、各国は異なる技術水準をもち、(一部、需要構成に左右されるものの)基本的には技術格差が各国の賃金率の差を形成する、と考えます。もちろん、2国の技術体系が近似してくれば、両国の賃金率は接近します。
②は、標準理論では、各国の技術水準は同じ(各国の生産関数は同じ)と考え、貿易は各国における生産要素の存在比率の差から生ずる。この差異があまり大きくない状況では、各国の生産要素の価格(簡単にいうと、資本利子率と賃金率)とは、[貿易前には大きな差異があるが]貿易を通して均等化される、と結論が従います。生産関数が国ごとに異なる理論は論理的には考えられ、均衡の存在などはいえるでしょうが、ほとんど分析は不可能になります。
1990年ごろの一時期、ベトナムと日本とでは、ドル換算の名目所得水準で約70倍の差がありました。このような差を②HOS理論は、到底、説明するものではありません。わたしは理論的には、経験的証拠の点でも、政策含意において、現実的にも、①のリカード・スラッファ型貿易理論の方が勝っていると思っています。