Wake Up To 鬱蒼 このページをアンテナに追加 RSSフィード

高島津諦が色々書き散らす所。原動力は自己顕示欲。

2007-02-19

恋をすると奇妙になる 17:30 恋をすると奇妙になる - Wake Up To 鬱蒼 を含むブックマーク はてなブックマーク - 恋をすると奇妙になる - Wake Up To 鬱蒼 恋をすると奇妙になる - Wake Up To 鬱蒼 のブックマークコメント

 何かが好きで好きでたまらない、と言っている時の自分はどう考えても凄く魅力的な気がするんですが、他の人が似たような事を言ってるのを見ると、魅力的どころか鬱陶しかったり不気味だったりします。それを踏まえて、客観的には醜いのだろうなあ……と思おうとしても、やはり何かにゾッコンLOVEな自分は素敵に思えてしまいます。恋をすると綺麗になるっていうじゃない! しかし事実は逆さ美人。一体なぜなんでしょう。ポジティブな感情を向けるのは善いことで美しいことだ、という意識があるのでしょうか。

 同じようなことは、宗教への信仰にも言えそうです。私自身は一般的日本人同様、初詣に行きお寺にお参りしきよしこの夜を口ずさむので、宗教の醍醐味*1は良く分かりません。けれど、何か特定の人や物や信念を至上とし、それへの愛を辺り憚らず告白する時の気持ちよさは、きっと信仰の喜びに近いんじゃあないかと思います。自分では、あくまで善いこと(宗教的意味に限らず、一般道徳的にも)をしている、としか感じられないのに、外からはちょっと不気味に見えてしまう。そして信仰態度が熱心になるほどに、本人の認識と周囲が受ける印象の差異は大きくなってしまう。

 人間には、何かを好きだと表明したい、信仰したい、心酔したい、という欲求があるのだろうなあと思います。でも、それを人間や人間の所有物に向けると、【こんな風に】、好意を向けた相手に嫌悪されてしまいかねない。だから、絶対に向けられた好意を拒否しない、いわば好意の吐き出し先として絶対神と宗教が作られたのかなあ、とか。世界の成り立ちを説明する為の神話とは別の、信仰対象としての神が。とすると、熱烈に信仰する神という愛情ダストボックスが、諸外国に比べて未発達の日本とかはどこに愛情を吐き出していたのでしょう。隣人、ではないな。殿か。あと義理とか人情とか体面とか。愛するということは帰依することであり、己の属する場所、居場所を求める欲求の表れだ、とかそういうことなのかしらん。愛されるよりも愛したいマジで。

 って、そんな関する思いつきは割とどうでもよいのでした。問題は、何で好きと言っている自分が素敵に思えてしまうのか。ホント困ります。お陰で、自分をよく見せようとするとついつい好きとか愛してるとか言ってしまって、逆に退かれること退かれること。誰かこの辺を解明して、グッと抑えるグッドな方法を考案してくれないものでしょうか。

*1:これは元々、仏教用語らしいですね

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