2007-02-09
■ はコつ

はてなブックマーク - 断片部 - Wake Up To 鬱蒼 - はコつ
2007年02月10日 rAdio モテたよ!だけど、「ネット上の振る舞いの一部で生活全体を正確に知ることが出来」ないのであれば、ネット上ではそういう事に言及しないでおくのが「安全」ではないですか?多分これはモヒカン主義にも繋がるかも。
ネット上で非モテっぽく振舞っている=非モテキャラで通している人を、ネット上で非モテキャラとして扱い、非モテキャラとして言及する、ということにどんな「危険」があるのかとんと分かりませぬ。馬鹿キャラを馬鹿と呼ぶのはアレですけど、非モテキャラを非モテと呼ぶのは、非モテがグループ名にもなっているのでダイジョブじゃないかと考えます。自称非モテだけれど人にも非モテと呼ばれるのは不快、という方もいるのでしょうか。
それとも、元々の私の記事が、「ネットに上げた、虚構の俺の一部だけを見て、実生活の様子をああだこうだ言うなど不届き千万」という感情を引き起こしかねない、ということでしょうか。そもそも非モテ、というのがリアルのモテるモテないを、ネット上に持ってきた言葉だと思います。モテるモテないに関係ない生活態度まで、ああだこうだ言うのはおかしいかもしれません。でも、(ネット上で)非モテと自称する人たちの、非モテ憲章みたいな、グループの共通理念が分からないなあ、こんな感じかしらあんな感じかしら恋愛への態度はどうなのかしら、誰か教えてー、と書くのはオッケーではありますまいか。「あんな感じ」「こんな感じ」を推測されるのが不快だったり、ちょっと聞いた意見が非モテ全体に共通すること見られるのが不快、とかだったら……そういうのはネットに沢山ある非モテ論とほとんど同じですし、今更そこを不快に思う人もいないんじゃないかなあと。
■ 易しさ優しさ

断片部 - じんせいべんきょう - やさしいからモテないを見て考えたこと。
「優しい人が好き」という時の「優しさ」っていうのは、自分にだけ優しくしてくれる=自分にとって都合がいい、ということに過ぎない、という見方があります。トラバ先さんもそうですし、喪男道 優しい人、真面目な人とか。そういう、自分にとっての益不益が全ての人もいるだろうなーとは思いますけど、そうじゃない人も少なくないと思います。自分*1以外にも広く優しくするするような人が好きよ、という人もいると思うのです。
けれど、求める優しさなんて都合の良さだろ、という考え方も多少理解できて、その違いは、「好きなタイプは優しい人」の発言者を、好かれる側、好く側、どっちと想定するかがポイントだと思います。
好かれる側が「優しい人が好き」
好かれる側と想定するなら、「優しい」の意味は「自分にとって都合よくあれこれしてくれる」と解釈したくなります。選び取る側ですから、都合が悪い相手を選ぼうとするとは考えにくいです。
この場合、優しい=都合が良い、というのは、選ばれる前提条件に過ぎません*2。ひたすら尽くして一緒に居ることを許してもらいたいなら、都合の良さを突き詰めても良いでしょう。それは恋愛関係ではなく上下関係だと私は思いますが、目指す物は自由です。でも、相思相愛を目指すなら、相手に対する優しさだけではダメではないでしょうか。優しさ以外の魅力を磨くとか、逆説的に懸想相手以外にも優しくする度量の広さなり気の利きようなりをアピールするとか、も必要だと思います。
好く側が「優しい人が好き」
一方、「好きなタイプ」の発言者を好きになる側だ、と想定するとどうでしょう。好き、というのは、相手が自分に好意を持っていなくても湧き上がる感情だと思います。ならば、「優しい」は「博愛」に近い意味になるのではないでしょうか。だって、相手は自分のことを特別視していないのですから。その他大勢の一人、として優しくされることはあるでしょうけど、そこに「私」は必須ではない。とすれば、求める「優しさ」は皆に対する、一般的な意味での優しさでしょう。
博愛に惚れる典型例として、捨て猫を拾う人にキュンとする、とかあります。彼/彼女が猫を拾ったところで、自分には何の得もないでしょう。キュンとするのはみんなその猫を捨てた人間、というなら別ですけど、そんなわけはありません。他には、困っている人に道案内するだとか、傘を貸すだとか、そういう行動で好きになる人もいます*3。芸能人などの、いわゆる好感度だってそういうことでしょうし。恋愛の話をしてんのに、どんな人に好感を覚えるかなんてことを答えてんじゃねーよ、みたいな非難はできますけど、好感と恋心が分離してない人もいるんじゃねいのー。韜晦の為にわざとズラして答えてる人もいるかもしれませんが。
例外・ナチュラルに優しくされて好きになる
何の気なしに優しい言葉を掛けられたり、親切にされたりして好きになるパターン。社交辞令を真に受けて、とかもこれ。上の二つの分類では例外に当ります。「好く側」なのは確かですが、自分への都合良さを好いたとも、万人への優しさが自分に向いた時初めてそれに気付いたとも、色々考えられます。でも、別に全ての惚れ方を説明するのが目的ではないので放置。
ともかく
「優しい人が好き」と言う人は、必ずしも、自分だけへの優しさ、自分への都合よさばかりを重視してるんじゃあないと思うのでした。
あと、トラバ先の後半で書いているような、広義での「都合よさ」で見るのだったら、確かに大抵の好みのタイプっていうのは自分にとって恋愛する際に都合の良い人、になりますね。でも、それで「優しい人なんて言ってるけど結局自分に都合の良い奴が好きなだけじゃねーか」みたいに狭義の「都合よさ」と混同した文脈で非難するのはあんまよくねーよなあとか。トラバ先はそんなことしてませんので悪しからず。
■ はコつ

はてなブックマーク - 断片部 - Wake Up To 鬱蒼 - なぜこう言い切れるのかが不思議でならない
2007年02月09日 Erlkonig book, society 評価軸の混同でしょうね。 「お前の電波時計より俺の腕時計の方が早く進むぜ!」
なぜ評価軸を混同させてしまうのか、というのが分からないのです。優越感ゲームの一種だとか、自分の依拠する理念を揺るがせたくないからだ、とか言っちゃえばそこまでですが。
■ クラッシャーin the sky

私はジンが好きなので、『雷音』について「クラッシャー in the skyって何だよ意味わかんねーよwwww」とか書かれてるのを見るたびに、タイトルから考えて稲妻に決まってんだろうが、高代亨の能力名だよ、とか思ってたんですけど、実は具体的イメージじゃなくて良く分からない映像を言語化しただけらしくってウッヒョー。理解できてると思ってたら全く曲解であった。
http://www.excite.co.jp/music/closeup/0608/jin.dcg
ひぃたん:歌詞を書く時は、“曲の中に潜んでいるお話を持ってくる”っていう感じなんですよ。「雷音」を聴いた時は、ストーリーが見えてこなかったんです。映像だけが“バッバッバッ”と見える。散々悪戦苦闘した挙句、「映像のままに書いちゃえば良いや」って。見える映像から言葉を拾って書いたんです。<クラッシャー in the sky>もそうですね。
■ フォアフー

互いに面識のない友達Aと友達Bには仲良くなって欲しいなあ、と思うのだけれど、余計なお世話なのだろうなあ。私がそれぞれから学べることよりも多くの物を、彼らは互いに与え合えるだろうと思うのだが。むー。
■ はコつ

はてなブックマーク - 断片部 - Wake Up To 鬱蒼 - いわゆる非モテの人って
2007年02月08日 rAdio ところで、俺が *実際に* 努力をしていないかどうか分かりますでしょうか?
*実際に*から察するに、ネット上の振る舞いの一部で生活全体を正確に知ることが出来るのか、ということでしょうか。それは勿論出来ません。けれど、rAdioさんはモテる努力をしていない、という風に振舞ってらっしゃいますし、私はそれを疑わしいと感じません。なのでrAdioさんは非モテだと思っています。この場合重要なのは、実際どうかではなく、どう見せているか*4。元記事では、『積極的な努力をしていない、という風に振舞っている人たち』と書くべきでしたね。
要するに、非モテキャラたらんとしていて、それが不自然でなければ非モテと看做しますと言う話。「それキャラでしょ?」は言葉の凶器。
■ ジャンル差とは表現方法の違いである

ジャンルとは、表現する為の方法、ツールです。ジャンル差とは、表現したい事のうちどの要素を切り捨て、どの要素を描くか、という違いに過ぎません。
あるジャンルで重視されている要素は、他のジャンルでは軽く見られたり、或いはほとんど切り捨てられているかもしれません。それは各ジャンルの特性であり、ジャンル間の優劣に直結する物ではありません。多くの要素が表現できれば優れた表現方法だ、良いジャンルだ、というものでもないでしょう。重要なのは、それらジャンル特性を生かして何を表現するか、どれだけ上手く特性を生かしているか、ということです。
例えば、小説に音がついていないことを非難する人はほぼいませんし、セリフが文字で読めないという理由で芝居を劣ったジャンルだと言う人もいないでしょう。各ジャンルへの好き嫌いはあれ、よほど原理主義的な人でなければ根本的な優劣は主張しないと思います*5。
しかし、そのジャンルの歴史が深くない場合や、既存ジャンルに近い形体で特性が違う場合など、何故かジャンル特性その物が非難の対象になってしまいます。元より切り捨てた要素・軽視した要素について「あのジャンルの作品は軒並み○○が表現できていない」と貶し、重視している要素を評価しません。学がないのであまり具体例を挙げられないんですが……例えば抽象画とかそうだったんじゃないでしょうか(イメージオンリー)。フォークソング、ポップソング、マンガ、アニメ、なんかもそうだったと思います。そして、ライトノベルや推理小説、ホラー小説、ゲームというジャンル全体に対するおかしな批判も、ジャンル特性を歪めて受け取るから生まれてしまうのでしょう。
見下されがちなジャンルは、畸形ではなく新しい形、空を飛べなくなった代わりに泳げるようになったペンギンなのです。
……で、ここからラノベ辺りの特性を滔々と捲くし立てられれば格好良いんですけど、下手なことを言って台無しにしてしまいそうなので逃げ。
■ 美少女ゲームをプレイする場合

「自分が相手を認識」「相手が自分を認識」「自分が相手を好きになる」「相手が自分を好きになる」「紆余曲折」「つきあう」
これらの要素の順不同の組合せだろ。同時発生もあったり。
- つきあう
- 結ばれることは運命(シナリオ)レベルで決定事項
- 自分が相手を好きになる
- プレイ前でもプレイヤーがヒロインに恋焦がれる
- 相手が自分を認識
- ゲームプレイ開始
- 紆余曲折
- ヒロインと出会うこと(のフラグ)を求めて右往左往
- 自分が相手を認識+相手が自分を好きになる
- 出会った時には既に恋は成就したような物である
まあ上は強引ですけど、でもこれ凄い面白い。順不同ってのが良いです。組み合わせを変えると色んな面白い恋愛ストーリーが作れそう。
■ なぜこう言い切れるのかが不思議でならない

実際にエロゲに感動したことはないので申し訳ないですけど。
「泣けるエロゲ」はストーリーがいいとは言うが、
文学や映画をたしなんでいる方面からの評判は聞いたことがない。
出来で言えば圧倒的に、文学・映画>>>>>>泣けるエロゲなんだが、
ヲタは文学や映画などという高尚な文化に触れたことがないので、
泣けるエロゲで満足している、と見ることが出来るのではないかな
ラノベなんかについても、よく同じ論理で批判されます。ラノベは根本的に下らない、それが良いと思うのはちゃんとした文学を読んだことがない奴だけだ、と。常々、何を根拠にこの序列を決定できるのか、聞きたいと思っていました。けれど尋ねると、「それが分からないような低脳だからラノベなんか読んでんだろwwww」とか言われて対話にならないことがほとんどで。尋ねるのが空気読めてなかったのかな、そんな空気なら読む気はないぜ。
「ありがたみ」でいうなら、一般的に文学・映画>>>>>>ラノベ・エロゲ、ということは認めます。でも、それと作品の出来は、常に=ではないでしょう。そもそも出来ってなんですか。受け手の心を揺さぶれば、それは出来が良いということではないのですか。純文学でも映画でもラノベでもエロゲ*6でも、そういう作品はあるしそうでない作品もあると思います。西尾維新と秋山瑞人と梨木香歩*7に揺さぶられた私の心は軽いのか。逆に山田詠美やヘミングウェイ*8や夏目漱石で揺さぶられなかったのは見る眼がないからか。なんだそれー。
また、文学や映画を嗜んでいる方面からの評価なら、東浩紀とか更科修一郎とかがいます。美少女ゲームについても色々書いていました*9。消費者の視点が欲しいなら、それこそ純文学も映画も美少女ゲームも良い物は良い、という人はいます。それとも、オタク系を活動分野にしている人間は、『文学や映画を嗜んでいる方面』ではないとするのでしょうか。ポップカルチャーを評価する人間はセンスがマトモじゃないからポップカルチャーを評価しても当てにならない、ってそれどんなトートロジー。……と言っても、一部の評論家・消費者が評価したからといって、一般的にも良い物と言い切れるかどうかは別の話なので、正直どうでも良いところですが。
あー、あと何だろうな。良いものなら何で広まらないのか、とか? それは萌え絵と萌えボイスとその他色々が、一般から見るとキモイからでしょう。慣れと歴史の問題に過ぎない。私も、萌え絵は好きですけど声はイヤン。
突っ込むと、果たして作品間に優劣はあるか、批評の意義は、みたいな話になっちゃいそうなのでこの辺で逃げます。ちなみに私は作品間の優劣は『ある』けれど、ジャンル間の優劣は『ない』というスタンスです。
ふと、釣りかなあ、とか思いましたが知ったことではない。ネタにマジレスするのは望ましくないですけど、釣りにマジレスはガンガンやっていく所存*10。