行乞記

頭の中に鉢を持って知識を乞う
/プログラミングサイド
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2012-03-12

[]両替できない貨幣の使い道を考える 04:52

そういえば、「ハイソサイアティー」というテーブルゲーム(カードゲームでもいいや)をこないだやった。どんなゲームかといえば、手元に配られたカードを使って、得点カードを競り落としていくゲーム。例えば、目の前に5点のカードがあったとして、五千円のカードを使って競りをする。また他の人は、その点数カードを競り落としたければ、五千円と二千円のカードを使う。こういう感じ。

このゲームが面白いところは、二千円のカードを、千円二枚のカードに出来ないってところだ。つまり、両替が出来ない。普通、貨幣は両替ができることを当たり前に考える。5円だったら1円玉5枚だ。それは貨幣が量の代価物だからだという考え方ができるからだとは思うんだけど、じゃあその前提を取っ払って「両替できません」としたら、それは恐らく、僕達が知っている「お金」ではなくなってしまう。1円でも困ってしまう現実社会の人間だと困ってしまうけれども、バーチャル的な住民だったら、この前提は面白いんじゃないかなーと思う。例えば、ソーシャルアプリで課金アイテムを買うさい、一度ポイントを「貨幣カード」にする。100円が500円カードになったりして「ラッキー!」って思うんだけど、現実的には300円のカードが欲しい。でも500円を買った方が得のような気がするし……みたいなそんな感じ。そういうアプリあるのだろうか。なにはともあれ、「両替できる」という前提を崩してみると、なんか面白いものが出来そうな気がするんだけど、今は特別には思いつかないし、とりあえずメモするだけに止めておく。

2012-03-08

[]アナログゲーム雑感 08:38

Thundorstone

ポストドミニオン。いわゆるデッキ構築系カードゲームと呼ばれる部類のやつ。テーマが「ダンジョンでモンスターを倒そう」という奴で、一人で黙々とプレイできるルールもあるらしい。特色としては、行動の選択によって(ダンジョンでモンスターと対決、村で買い物の他に)カード一枚を破棄できるというのがある。これによって、よりダンジョンに潜りやすい形のデッキへと圧縮する。ただ、いわゆるドミニオンらしい、カードをコンボさせたり、ひたすらカードを引いたり、みたいな戦いはない。むしろ地道に圧縮し、装備を整え、いらないカードは解雇し……を淡々と行っていくゲームであり、装備が整ったらカビ臭そうなダンジョンに潜って、どろどろしたモンスターと戦わないといけないわけで、なんとまあ泥臭い冒険者稼業であることよ、という気持ちになる。そういうダークファンタジー的な要素が好きな人にはたまらないとは思うし、それなりには面白いのだけれども、その面白さといえば、どちらかというと冒険してダンジョンに潜っていって、強いモンスターを撃破する喜びであって、勝利点を稼ぐとかの楽しさなのか、という感じはしないことはない。そういう意味では地味なゲームだな、という印象。

BlueMoon

クニッツァという有名なゲームデザイナーの作ったカードゲーム。バトルライン、ロストシティ、ハイソサイアティなどをやってみて思うんだけれども、この人の作るゲームというのは、いちいち「複雑なジャンケンをやらされている」という感じが強くなるゲームが多いよな、という気がする。しかも、そのジャンケンは「どちらかが引くと負け」という消耗戦だったりする(バトルライン、ハイソサイアティはこのタイプ)。このゲームも、基本的には「相手が出した数字よりも大きなカードを出していく」という奴で、やはり消耗戦を強いられることになる。ただ、このゲームの場合は、それぞれカードの効果ががあり、「じゃあこれとこれを組み合わせるとどうなるんだろう?」といったような、試行錯誤が楽しいゲームだったりする。その組み合わせというのも、「あれ、なんでこれとこれで上手くいかないんだろう」といった類のものだったりする。サクッとやってサクっと終わらせるという意味ではいいゲームだと思う。

7wonders

簡単に言えば、いろんな文明の指導者になって建築していって、点数を稼ぎましょうといったようなゲーム。街作りは楽しいんだけど、いろいろと要素があって大変といえば大変。その分だけ、どういう風に構築するかという選択肢があることはいいことだとおもうんだけど、その複雑さは簡単に説明できない部分が多い。例えば、ざっといって、点数を稼ぐ方法でも、「科学」というモニュメントを集めるか、「軍事」で両隣を負かしていくか、「資源」で金銭をせびりまくるか、でだいぶ違ってくる。で、これらの戦略は、両隣が何をしているかに変わってくる側面があり、だからこそ両隣が作っている建物とか気にしきゃいけないんだけど、システムに慣れるまでは、それらを考えている余裕はちょっとしんどいかなあという気もする。セットを隣にパスしていく形式も、たぶん「文明は隣接する文明に影響されている」というアヤなんだろうなという気はするし、そういう風に「間接的に」影響を与えられるというのが、ゲームデザインとしてはっきりと出ている感じは面白いなと思う。ドイツゲーム大賞でエキスパート賞を貰った理由もなんとなくわかる。

Race for the Galaxy

一般的に「プエルトリコ - サンファン」と呼ばれる系列のゲーム。このゲームの系列は、各プレイヤーが順番に「全員の行動」を決めるというもの。選択された行動に従って、各人がプレイしていくというもので、この順番というのがかなり曲者だったりする。で、またこのゲームの面白いところとして、惑星や装置を作るためには、コストを支払わなければいけないのだけれども、そのコストが「手札のカードを捨てる」という行為によって支払う(例えば、「コスト5」なら、手札から5枚捨てる)。そのシステムのせいで、手札が自動的に供給されるわけではなく、なんらかの形で供給するための行動を取らなければならない(例えば、商品を売ったりする)、そういうゲームである。アナログゲーマーなら読んでいるであろう"BoardGameGeek"というサイトでは、割と高得点なのだけれども、レビューで「面白い?」といったら「まあ……面白いかもね」という、ちょっと中途半端な感想もちらほらあるのは、そのシステムの複雑さと構築のしにくさなんだろうという気もしている。確かに、処理しなければいけない情報が多いというのがしんどいところではあって、それが薦めにくくしている側面はあるよなーというところ。似たようなところではプエルトリコもルールを読んでみて「……えっ、これ何が面白いの?」というのが正直な感想だったことを思い出す。

おまけ・プエルトリコ

やたらと評判がいい。以上。なんか説明するのもやぼったい感じはあるが、ドミニオンが伝わりやすい形の面白さだとするなら、プエルトリコは割と伝えにくい感じの面白さだなという気がする。上記にも書いた通り、ドミニオンは割と「ああ、これ面白いんだな」というのがわかったのに対して、プエルトリコは「えっ、これどこが面白いの」という感じだった(気分を害された方は申し訳ないです。でも本当だもの)。説明するのは難しいけど、ポイントは「他人の動きに翻弄され、少ないリソースを奪いながら、如何にしてトップにたどり着くか」という面白さなのだろうとは思う。あと、一人が行動を選ぶと、それに従って全員も行動しなければならない、というルールの独自性もポイントが高い気がしている。

In the year of Dragon

毎月起こる災害に対してリソースを蓄積しておいて、できるだけ被害を最小限にしましょうというゲーム。何度かやった印象としては、「どの災害は喰らうべきなのか、あるいはどの災害は当たってはいけないのか」を取捨選択していく感じなんだなという印象。あと、リソースが少ない生産のほうが早く行動できたりするなど、なかなか悩ましい感じ。爽快感を楽しむというよりかは、そういったジレンマを楽しむというゲームであり、災害を防ぐためには、災害を防ぐためのリソースを生産できる有能な人材を配置しなければならないのだが、有能な人材も限りがあるために奪い合いになる。そういう殺伐感というか、慌しいところは「厄の年」っぽくていいなあとは思う。

Hive

六角形のコマを動かして、相手のコマを閉じ込めるというタイプのアブストラクト・ゲーム。動きからコマには虫の絵が割り当てられている。いわゆる「盤上」と「コマ」ではなく、「コマそのもの」が移動範囲になるというのが少し新鮮かもしれない。例えば、あるコマとあるコマが一つの部分でしか繋がっていない場合、その繋いであるコマは移動できなくなるといったような技などが存在する。とすると、どんどん動かしていくのが重要な気はするけど、数回プレイした限りだと、割と簡単に動けなくできてしまうため、むしろ「どういう風に動かしたら、動けるようになるのか?」ということに気を配っていく必要があるという感じのほうが大切かもなーという気がしている。確かに、このわらわら感といい、六角形のコマといい、「昆虫だよなー」という気がしてくるのは、自分は思い込みのせいなのかなあーとか思ったりもする。

2012-02-17

[]非電源ゲームはルールが簡潔であるほうがいい 07:41

非電源ゲームのルールの優秀さのベクトルの一つに「ルールを説明しやすい」ということがあげられることに気がついた。とはいえ、非電源ゲームに限らず、電源ゲームもそういう傾向にあるとは思う。例えば桃鉄ならば「とにかくお金を貯める」ということであるわけだし、ボンバーマンなら爆風で吹き飛ばすだし、格闘ゲームなら「パンチやキックが当たったら体力が減る」ということであるわけで、もちろん「やれること」はたくさんあるんだけど、その多くは「やらなくてもいいこと」でもある。

たいてい年を取ったり、あるいはそもそもの一歩としてやる気が無い人にとっては、「ルールを覚えるのが面倒くさい」という、些細ではあるんだが重要な障壁が存在していて、非電源系ゲームのルールを熟読して備えるといったり、あるいは全力でルールを聴こうとする人は、大抵はよく訓練された非電源ゲーマーであり、多くの場合はそのようには訓練されていない。「ドミニオン」が優秀なのは、説明することが少ないのにも関わらず、割と出きることが多かったりする点なのだな、と思う。あるいはカルカゾンヌもそのような傾向がある気がしている。蛇足だけれども、ルールをそんなに説明しなくてもいいということは、見るべき情報も少ないという傾向にあるような気がしている。見るべき情報が少ないということも、非電源ゲームを人と一緒にやるには必要なベクトルなんだろうな、という気がする。

2012-01-12

[]まとめブログ関係に関する印象の話 05:32

色んなところで話題になっている例の焦土作戦の奴なんだけど、一時期までは2ちゃんねるの事件をまとめるのは「○○研究」といったようなサイトだったことを思い出す。主流であったログを切り貼りするというスタイルではなく、何かの事件を取り上げて一つのコラムを書くといったスタイルであり、ネットの痛い奴を見つけるならばネットwatch板という時期だったと思う。「ラウンジ」という板がまだ表にあり、AAといえば「モナー」であった時代。

そういう懐古厨から思うことと言えば、いわゆる「まとめブログ」というのがこれほどまでに流行ってしまった理由というのは、恐らくはそれこそ刺身にタンポポを載せるような、2ちゃんねるの事件をまとめるさいにシステマティックにしてしまった部分にあると思う。まとめブログを読んでいていつも思うのは、周辺事情の補則というのがよくわからないという点に尽きていた。それはログをまとめるという行為をシステマティックにしたことに伴う犠牲なんだな、とも思う。というのも、システマティックにすることというのは、そのログが持つ文脈に対して疎くても、それなりに誰にも扱えるというようにする、ということだろう。(そして、それは、個人的にはその行為は「まとめ」という行為からは遠いようにも思われる)

「○○研究」が目立たない理由の一つとしては、恐らくは、その記事を書く労力と、コラムを書いたとしてそれを面白いと思うかのリターンが少ないという点にあったように思う。ならば、盛り上がっているログをまとめたほうが、「まとめ」と「面白さのリターン」という点では分がよいようには感じる。また、一度何かしらの事件にコミットするならば、それをずっと追いかけるという義務みたいなものは発生するし、自分が間違った記事を書いたならば修正するという義務が生まれる。「速報」という名前を名乗るならば、あくまでも「速報」である以上、コミット云々は別として、「こういうログが盛り上がっていたから取り上げましたよ」という顔はできる。恐らくはそういうことなのだろう。

あと、この件を、あまり「アフィリエイトで儲けて云々の僻み乙」という言い分にしたくないのは、それは単純に言ってしまえば、それは単純に「まとめブログのやつらはウザい」という雰囲気というか、空気みたいなのは何処かあったと思う。それは「儲け」という点だけではなく、端的に言ってしまえば、例えば「間違ったログを取り上げたりしても修正はしない」とか、「やたら煽ってくる」とか、あるいは「弱小サイトは媚びないと潰される」とかいったような、そういう雰囲気の問題だろう。上記がどれだけ事実かはわからないが、少なくとも「まとめブログが一番のマスゴミである」みたいな共感の土壌というのは随分できていたようには思う。

ステルスマーケティングの略ステマ、つまり「それが広告であることを気がつかせずに、印象操作を行い、商品に対してプラスのイメージを与える」というのにしては、上記のような悪印象があったとしても、それは印象でしかなかったが、印象に対して事実というのが加わった瞬間に自分の嫌悪感が正しかったというのを与えてしまったように思う。ただ、補足しておけなければならないのは、自分たちが面白いと感じなければ、それは常に「何か操作されているのではないか?」という感じになると思う。自分はここ最近だと「お笑い芸人板」をちょくちょく読んでいたが、ある芸人がブームになるのに対して「ゴリ押し」というのが連呼されていた。それは恐らく半分は正しく、半分は間違っている。

彼らにしろ、他の色々な瑣末事情を考えるに、多くの商人的な行為というのは、裏でなにをやっているかはともかく、「フェアネスである」ということか、あるいは「客があっての私たちです」というフリをしておかなければならないというのはあって(あくまでもフリ)、それは「自分がいいものを買った」という確信が、それを消費する上において重要だからだとも思う。それは社会的な云々と照らし合わせてそうだろう。

ここ最近、ネット炎上話というのは、犯罪告白であったとは思うものの、それに加えて地味に広告関係も炎上していることを考えると面白いなーとは思う。広告が嫌われる理由というのは、「フェアネスが損なわれる」という嫌悪感にあるとは思うので、色々と難しいところだなあとは思う。

2011-12-14

プレカリアートの詩』が面白いのでみなさんにおすすめしておきます。 01:56

久しぶりに書評

以前に読んだ『プレカリアートの詩』というのが面白かった。手元にないので、もう何が書いてあったのかは覚えていないんだけど、記憶を思い返すに、現代の労働とは認知という行動によって規程されているという話が、如何にもな現代思想っぽい文体でかかれてある。その臭さ(あとイデオロギー的には左翼なので)が鼻につかなければ、たぶん読んでいて面白いだろう。彼は、本の中で「認知労働者」という言葉を使っている。例えばインターネットで調べ物をしたり、あるいは文書を読んだりするということが、そのまま労働と結びついている。例えば、ライフハックのネタがやたらとブックマークされたりするのも、それが労働というものに根ざしているからだ。「そこにある」ということを知る=認知しておく、ということが、既に労働の条件として規定されている。トップダウンで命令されるのではなく、ボトムアップで知っておくということこそが、新しいプロレタリアートの条件を支えているわけだ。情報強者という言葉の用法が貧乏くさい理由も、きっとそこにある。「情報を知る」ということは、むしろ特権性なのではなく、むしろプロレタリアートとして強いられた労働なのだ。

ヒックとドラゴン』が面白そうだと思った話と、その経路(印象論) 19:19

とある事情で、腐女子向けサイトを閲覧していたところ、ドラゴンと少年が仲良くしているイラストなどが掲載されていて、「おおおお」と思って、似たようなイラストを探していると、如何にも自分が好きそうな話を基盤にしている印象だったので、元ネタを調べてみると『ヒックとドラゴン』だったという話。

現代萌えオタ事情的に、たぶん「ホモだー!」と言われそうな作品というか、物語構造のある作品が俺は好きなんだろうなと思う一方で、そういう腐女子の描いたイラストを見ると「あれ?」という違和感を覚えることもある。そして、その違和感自体は、別にアメリカの国に行けば、部屋の中を土足で歩くくらいの違和感でしかないし、郷に入れば郷に従えくらいのことで、別に批判は無い。アメリカにいって「部屋を土足で入るアメリカ人は不潔」とかいったら殴られるだろうということと一緒だろう。そもそも、腐女子に目を向けなくとも、原作に忠実というよりかは、「ピンクは淫乱」みたいなタイプの伝統芸能であろうというくらい。別に元に忠実に描けばいいってものではない(あとは作品への愛がなんとかしてくれるだろう)

例えば、ヒクドラの話でいうならば、ヒックの造詣はピクサーらしい3Dモデリングであって、そのあたりが割とユーモラスに見えるわけだが、その辺のユーモラスさというのは割となくなっている例がちらほらある。例えば気弱でうじうじしているような人物造詣になっていたりする。説明が難しいし、そういう物語なのかもしれないが。サウスパークに関しても同じようなことを感じることがある。気になってパワーパフガールズで調べてみると、割と元の線をなぞっていることが多い。パンスト本で調べればいいのか?でもあれは元々パロディーだしなぁ……

なんていうか、翻訳過程というかその辺で、「少女マンガ」というテンプレートがあるわけで、それに当てはまるような形でかかれる場合が多いのかな、と思ったから。一方で、「少年マンガ」というテンプレートはどんなのかというと、なかなか難しい。大抵はエロマンガテンプレートだろうなという感じ。少年マンガテンプレートWebマンガで説明した方が早いのかも。例えば最近完結した牛肉帝国とか。あるいはワンパンマンは「少年マンガ」の形式でしかない(もうちょっと正確に言えば冨樫になるんだろうけど)。どちらかというと、「少年マンガ」というよりかは「青年マンガ」といったほうがよく、「ああ、この同人誌は青年マンガっぽいな」という印象はある。たぶん、そのあたりに理想型みたいなのがあるのだろうなと思う。もう少し考えてみる余地のある話だけど、とりあえずセーブとしてメモしておく。

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