行乞記

頭の中に鉢を持って知識を乞う
/プログラミングサイド
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2012-06-02

[]「こんなこと勉強して役に立つの?」という子供への答えについて 02:38

  • 論点として、そもそも知識について「役に立つ」か「役に立たない」の二種類がある。これは古典的には実学と虚学の対立。
  • 何かしらの勉強を役に立つと思う人間は、それが何かしらを生み出すために必要であると思うため、それを理解させる。これは具体的な有用性の問題である。有用性を理解させる方法はいろいろあると思われる。有用性というところでは、例えば単語を100個覚えたら飴玉を一つ上げるという方法もあるわけで、極端な話、それが「役に立つ」ということでもある。
  • 何かしらの勉強を役に立たないと思う人間は、それ自体が面白いからだという。
  • 子供が「こんなこと勉強して役に立つの?」という問いに大人たちが苛立つのは、大人にとってそれが子供にとって必要であると思っているのにも関わらず、それを無意味だと言われているように感じるからだろうとは思う。だから、子供の「役に立つの?」という問いに対して、それは無意味ではないというように答える。
  • ただ、一つだけ言えるのは、子供にとって明らかに「知識」というもので勝負している世界というのがあり、それによって動かされている世界があるということは覚えさせてもいいかもしれない。簡単なゲームをやるのでもいいだろう。要するに、「知っていること・考えていること」ということで勝負している世界がある。もし、子供がそういう「知っていること・考えていること」に対して勝負している世界というものに、興味を持つならばそれで生きていけばいい。
  • 以前にバカな芸能人を集めて舞台に立たせて誤答を笑うというテレビ番組があったが、得てして、大人たちにとっても、知識や知性というのは「こんなことを勉強しなくてもいいのではないか?」と思わせるものであったり、「もっと勉強しておけばよかった」と後悔したりするものだろうと思う。むしろ、子供には、一般的に言われているような「勉強」という世界とは違ったステージの戦いがあり、もしかしたらその道も選べるのかもしれない、ということをわからせて、それでホッとさせればよい。子供にとって、そっちのほうが有用であり、道は一つではないと思う。
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