行乞記

頭の中に鉢を持って知識を乞う
/プログラミングサイド
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2012-05-25

[]支援系のサイトについて思ったこと 01:16

  • いわゆる一般的な「支援」ではなく、ここ最近の「学生支援」と、例の「鬱病」のサイトのこと。
  • 二種類の支援関係のサイトを見ていて思うのは、要するに「これは善意である」というイメージが固まったものに対して手を出した結果として、全く善意ではない結果になってしまっているという点なんじゃないかとは思う。
  • 割と普通にありうる話として、「ニコニコ動画でバカみたいな動画を見ていたら、気持ちが晴れてきた」という状態はありうるわけで、とするならば、実は心の底で「これは善意である」と思っていたとしても、そういう「緩いサービス」であることで、人に期待させず、なおかつそれなりの効果が発揮できたのではないだろうか、という気がしている。なぜ、サービスを緩くするかといえば、人は期待しなくて済むという側面はありそう。
    • 補足。当然の事ながら、高速で開発→リリースをするならば、少なくとも「真面目なもの」と勘違いさせるものではないというのは必要だということ。もし、真面目なものを作るとするならば、間に「見識のある人」からのヒアリング時期というのは必要で、その間を開ける必要がありそうな気がする。
  • あとは、既存のNPOとの連帯ね。そういうのと連携すると色が付くんじゃないかと恐れている側面はあるかもしれないけれど、これは、本当は重要で、それは何故かっていうと、彼らは彼らなりにトラブルに対しての蓄積があるからで、そういうのを無しでやるのと、ありでやるのは、本当に大きい。むしろ、そういう見地こそ、IT技術の力を使って、上手く利用され、共有化される必要があるわけで(彼らのレガシーさに絶望してはならない)、その辺りと連携する発想が無いのは、あまりにもしんどいことであることよ、とは思う(とはいえ、ちゃんと連携されているんだというならば杞憂)。
  • 支援関係について、頭を悩ませるのは、常に「無理解」であるなあ、ということをちょっと思う。その「無理解」とは、ユーザーではなく、「世間様」という漠然としたよくわからないものである。そして、その漠然としたよくわからないものの被害を受けるのは当人であったりする。そして、それを内面化しているのは当人だったりする。その辺りを意識せずに、ただ共有しようとするのは、あまりにも危険なんじゃないかなあという気がしている。(なので、支援関係がソーシャルに向いているのかどうかというのは悩ましいところなんじゃないかとは思う)
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