行乞記

頭の中に鉢を持って知識を乞う
/プログラミングサイド
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2010-04-18

カオスラウンジを見て考えたこと、あるいはBreakcoreについてのメモ 20:52

前回のエントリで"カオスラウンジを音楽として解体してください"、というお願いを出した"ii Sayonara Records !!"主催こと似非原です。今回、ちゃんとカオスラウンジに行って、その感想を書かないといけないな、というわけで、恐らく誰もがそう思っているんだけども、若干語られない側面、つまり音楽と絵画という関係とその手法の共通さについて、Breakcoreを絡めつつ語りたいなと。

カオスラウンジ』という手法

それほど『カオスラウンジ』に足を運んでいるわけではないのですが、それでもGEISAIの展示であったり、今回の高橋コレクションに来てみて感じたことは、『カオスラウンジ』のあり方が、非常に「サンプリング」を駆使している部分があるなーということ。さらに言うならば、その「サンプリング」の方法にしても、膨大な情報が即座に流されいく。

今回、高橋コレクションで展示された、入り口にあった「こなた」の展示というものが座っていた紙束というのは、「情報の廃墟」であり「情報の廃墟」から生まれたものが、記号で辛うじて「それがこなた」だとわかる人形だというのが、面白いなとは思う。あるいは、別の側面からすれば梅沢さんの、壁いっぱいに広がった、徹底した「サンプリング」の数々が、単なる「情報の廃墟」を超えて、ポップな廃墟として秩序し直されたのも非常に興味深いなーと。

それで、そのあとにも模造紙オフにも言ってきたり、黒瀬さんのUstreamを見ていたりしたのだけれども、そのときに思ったのは、本当に一つの大きな「サンプリング」解体装置なんだということ。もちろん、『カオスラウンジ』には、単純に絵が好きで、絵を描いているだけで幸せですという人も多くいて、それが多様性とでも、あるいは人徳とでも言うべき好感があるのだけれども、しかしそれが模造紙でいっせいに描き始めたときに、それは即座に素材になり、全体を構成する要素になる。

ただ、「サンプリング」と、単純に絵を描くという行為は、案外緊張関係があると素朴には思う。というのは、例えば「お絵かきチャット」というのを見ているとわかるんだけど、各人の縄張りみたいなモノを意識しながら書いたりする。もちろん、「お絵かきチャット」でも他人の絵に付け加えたり、落書きしたりするというあり方はあるんだけど、でもそれは作品に彩をつける、ちょっとした気遣いでもあったりする。

だから、『カオスラウンジ』で逆転してしまうのは、それがデータであったり印刷物であるならば、それが「素材」として解体出来る何かとして暴力的にサンプリングされるのだが、しかし「今描かれつつあるもの」は解体することを、暗黙のうちに避けていたりする。そりゃ、自分が描いたものが目の前で切り張りされることが嫌だという人もいるとは思うんだけど、だとすると、目の前で解体された雑誌と、目の前にあるモノは絵画というか、データとして同じ筈なのだが、明らかにそれは現れるものとして違うはずだ。

だとすると、その現れたものとは何なのか。そして、その核に「コミュニケーションとしての消費」というものが、ある筈なのだ。

で、Breakcoreの話

思ったのは、「ああ、これってBreakcoreなんだな」とちょっとだけ思ったりした。それをちゃんと言語化しておきたいな、と思う。

実は、Breakcoreというジャンルを語ることは難しい。はっきりした定義が無いからだ。多くのジャンルの場合、定義なんてつけたとしても「これってこれらしいよね」という説得力で無理矢理ねじ込まれることが多く、それがジャンルの芳醇さでもあるんだけど、Breakcoreはもっと頭を悩ませる。詳しい話は下のサイトを見ていただければいいと思う。

ukadapta.com - 

あるいは、映像としては既に古典になってしまった感じがある作品としては下の作品が上げられるかなー。何処かで見たことがある人はいると思う。

向こうの世界では、ホームビデオを切り刻んでBreakcoreにしてしまう人もいて、日本ではアニメサンプリングB級映画・ドラマサンプリングをしている人しかいなくて非常に残念。

これらの作品は、一般的に言われている意味での"Breakcore"、つまりアーティスト名でいうならば、Drop the limeだったり、Venetian Snaresだったり、Sickboyだったり、Duran Duran Duranだったり、Shitmatだったり……という側面から慣れ親しんでいる人であるならば、このアプローチは幾分か邪道だとは思うのですが、それでもこれらの映像作品は「Breakcoreが何なのか」という側面を明確に映し出していると思ったりする。*1

それはあらゆるモノが音声データというものがデータとして保存、記憶された以上、それは編集可能なものとして現れるという認識というのが存在している。もちろん、それはダンスミュージックというかテクノという表現技法が生まれてから、それはそういうモノとして認知される。

でも「あえて」Breakcoreと他のサンプリングを駆使したエレクトロミュージックを比べてみれば、それは圧倒的なドラムループを切り刻んだり、サンプルを暴力的に切り刻んだり、何処かそれらのトラックやサンプル配置が乱暴すぎるために、どうしてもノイズミュージックに近くなってしまったり……というあり方にあるんじゃないかなと若干思ったりします。

例えば、ロケットマンの「交響曲第4126番「ハトヤ」 」なんかどうでしょうか。

事例が古すぎるならば、imoutoidの「PRAT2」。

本来ならば簡単に済ませられる問題ではないのですが、Breakcoreは上のような楽曲としての洗練という側面からは、幾ばくか解放されてしまっているのかな、と思ったりします。もちろん、だからといって楽曲として完成されているわけではないのですが。

もう一つの側面から突っ込んで見ましょう。例えば、個人的にはBreakcoreから派生された"Lolicore"というジャンルがあります。恐らく"J-Core"とはまた違ったアプローチというか、そのためにそのジャンルが作られていて、このことに関しては、ちゃんと調査しないといけない問題なのですが、"Lolicore"になると、本当にサンプリング云々レベルではないノイズアプローチが多くなったりします。

あるいは我が"Sayonara Records"からも曲を配信させて頂いている"DJ zovi"さん。

あらゆるものがサンプリングになるという意味では、"Breakcore"と枠組みからはずれ、口ロロも面白いかもしれない。

で、何が言いたいのか

つまり、あらゆることが情報であるとするならば、どんなものに対してもサンプルとしてどんどん切り刻まれ、組み替えなおされ、新しいモノとして生まれていく。しかし、それを洗練された形でエディットしていくのか。それともひたすら素朴に解体していくのか。『カオスラウンジ』には、何処かノイズミュージックというか、あるいはそういう切り刻んで圧倒的に配置づけていくような何かを感じたのは確かです。

 ただ、個人的にはまだ見たことがないのですが、Breakcoreであったり、あるいはナードコアMADミュージックにアプローチを受けた人の中で、梅沢さんの作品みたいに、膨大なサンプリングを持ってして、その全体像を作るという作家はまだ見たことが無い。それは絵画と音楽の違い、つまり時間に束縛されるのかそれとも画像に束縛されるのか、という違いなので、たぶんそのまま持ってくることは難しいのですが。

 大量に情報が流れていく現代社会において、あらゆる情報をかみ締めることが出来ずに、解体と廃墟化していく現代において、むしろその廃墟を使って新しいポップを作り出していく、という意味では、音楽も絵画も似ていると同時に、また差異を持っているはずで、その差異が緩やかに共振していくことがあったら、何か面白いかなあと思っていたりします。

余りにも蛇足的な

 例えば、僕もMAD音楽というのを聞いていて、それ自体のあり方は面白いのですが、ではそれが『カオスラウンジ』と平行しているかというと若干違うかな、と思う。印象として、現在ニコニコ動画で供給され続けているMAD音楽の多くは、「元ネタ―元音楽」の一対一対応になっている。しかし、「つかさを作ろう!」において作られた人形は、そのような一対一ではなく、あらゆる元ネタを利用して元音楽を作ろうとした結果、辛うじてその原型が記号的に理解できる存在として現れている。それを、シンポのときは死体と言っていたようなのですが……その死体性というものが、音楽としてはまだ見えてこない。

 それは、絵画が「紙」という高スペックマシーンによって痕跡が残った後の作品を絵と呼ぶからなんだろうなということが若干します。音楽がどうしてもそれが作品として理解した時点では既に痕跡を消してしまっていている。その死体が残らないという意味では、もしかしたら絵画というのは、単に美しい死体か、それとも汚い死体のどちらかしかないと言う言い方も可能かもしれないけど、それは言いすぎか。

 とすると、例えば映像/動きも同様に痕跡を消していくタイプの表現技法なのですが、それに関しては「はてなダイアリー」が素晴らしい表現をしているので、それ見ながら考えてもいいかなと。

あっ、ちなみに

 "Sayonara Recods"では、配信して欲しい音楽を募集しているので気楽に応募してくださいねー(宣伝) => esehara at gmail dot com

*1:ちなみに、挙げたアーティストの一部は、右のサイトで聴く事も可能なので参考にしてみてください : http://www.cockrockdisco.com/

ashibumi68ashibumi682010/04/19 01:38うーん、全然文脈わからないんだけど、あらゆる情報が暴力的にサンプリングされることによって、我々がそれを「かみ締めることが出来」ないまま、情報が「解体と廃墟化していく現代において、むしろその廃墟を使って新しいポップを作り出していく」というのって、その当時勃興しつつあった「ハウス・ミュージック」に依拠して椹木野衣が90年代の初頭に言ってた、「シミュレーショニズム」の主張そのものに他ならないと思うんだけど…。また「廃墟を使ったポップ」と言えば、やはりその当時、デビューしたての笙野頼子やラリィ・マキャフリーをフィーチャ―しながら、巽孝之が宣伝してた「アヴァン・ポップ」というのともかなり重なるような気も(椹木自身もこの言葉を多用してたし)…。

一方、黒瀬氏の(あまり評判のよくない)Ustをチラ見した限りでは、彼はとても楽天的にキャラを通したコミュニケーションやネットワーク化という現象を持ち上げていたのだけれども、その中で特に個人的に印象に残ったのは、不死性というものに関わる指摘だった。彼いわく、キャラは本来不死で無時間的なものである筈なのに、その一方でエフェメラルで一時的なものでしかないから、そのキャラの不死性を通して自らの身体を不死化していくためには、常にそれを(2次創作などというかたちを取って)強迫的に再生産していくしかなくなってしまうと。つまり、一見楽しそうな祭りのように見えるキャラを通したコミュニケーションやネットワーク化は、実はそういう強迫によってドライブされていたということか。

で、カオスラウンジにおける、「似ていると同時に、また差異を持っているはず」の音楽と絵画の「緩やかな共振」というのは、上のようなアヴァン・ポップ的な「情報の廃墟化」と、SNS的な「情報を通したコミュニケーション」とがどう交錯するのかという問題になると思うんだけど、時系列的に見れば、この両者の間に介在したのが、例の「スーパーフラット」という奴だったわけデスよね。多分、アヴァン・ポップ的なザラザラした情報環境の廃墟がいったん超平面化されてツルツルにされてしまったからこそ、キャラという情報を介した無邪気なコミュニケーションやネットワーク化がその上で可能になったと、捉えられるんじゃないの?

で、これまたホントよくわからないけど、カオスラウンジという空間で、いわば「スーパーフラット以前」の廃墟化した情報環境と、「スーパーフラット以降」のコミュニケーションやネットワーク化の無邪気な確認・拡大の祭りとが交錯・融合するとすれば、そうした融合によって新たにもたらされた、単なる廃墟でもコミュニケーションの祭りでもないような第3のものが、当のスーパーフラットという平面と対峙し、それと特殊な関係を切り結ばざるを得なくなるのでは? あそこで色々と言われていた、「幽霊」や「妖怪」と言われたものも、実はこういう文脈で意味を持つようになるんじゃないの?

簡単に言えば、この幽霊や妖怪というものは、スーパーフラットという平面によって隠蔽された情報環境の廃墟・ただのジャンクの集積が、その平面上でなされているコミュニケーションの祭りの只中に回帰してくる、二つのあり方ということになるんでしょうナ。で、その二つのものの間の違いは、一言で言えば、スーパーフラットという空間による廃墟の整流の仕方というか、そのパラメータの違いということになるのかナ?

多分、こんな感じになるのかも。――キャラを通して不死性を獲得しようとする強迫的な欲望が結局つかませられたのは、しょせん、まったく生気が失せた空虚な幽霊でしかなかった。それはいわば「美しい死体」としての「死んだ記号」のことなのであり、そこでは、情報の廃墟化した集積を隠蔽した筈のスーパーフラットの空間が、生気がないという点でその廃墟と一瞬等しくなってしまう。いわば、スーパーフラットと廃墟が等しくなる特異点。しかしこれは特異点である以上、決して安定して存在することはなく、空虚な幽霊はすぐに、過剰で自我侵襲的な、いわば「汚い死体」としての妖怪に変貌していくことになる。この妖怪というのは、スーパーフラットの平面自体に亀裂が入り、隠蔽されていた、単なる記号に押しとどまることができない、廃墟化した情報の物質的断片がそこにどっと流れ込み、成立していたスーパーフラットの平面が元の木阿弥の状態に戻っていくような出来事のことだと捉えて構わないんじゃないの?

で、ここから見えてくる重要な問いというのは、キャラがこの種の幽霊や妖怪に変貌してしまったときに、キャラを介したコミュニケーションは、無邪気な祭りからいったいどういうものに変貌していくのかということになると思うんだけど、当然このへんのことはもう誰かが言及してたんでしょうネ。

というわけで現場にも行ってないのに、思わずテキトーなことを書いてしまいました。何やってんだか…。

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