行乞記

頭の中に鉢を持って知識を乞う
/プログラミングサイド
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2006-05-25

オタクは二度死ぬとかいっておけばいいんじゃね? 20:39

http://buchi21.blog64.fc2.com/blog-entry-76.html

考えても見れば、これって変な話なんだよなあ。

  • 恐らく以前であるならばオタク公共圏(あるいはオタクコミューン、あるいはソーシャルキャピタルとか)というのが存在していて、その内部でオタク情報話みたいなことを共有していた。で、オタク公共圏にアクセスして、そしてそこから情報を消費する(オタク→{オタク公共圏}→消費対象)という感じになりそうなのだが、インターネットに入ってから、これが急速に崩れたと見るのが正しいのか。(オタク→{データベース}→消費対象)という流れ。
  • 普通であるならば、このオタク公共圏の情報を得る為にはオタク公共圏のメンバーとして参入しなければならないわけだが(SF研など)、それがなくなって、誰にでも情報にはアクセスできるようにはなった。
    • ただ、オタク公共圏ではある一定の儀礼というか、トレードオフ(例えば、そこにいるためには必死で勉強しなければならないなど)が存在していたと考えるならば、ある程度質は保たれていたということを考えることが可能
      • 不思議なのはオタク公共圏が破壊されたか、あるいは破壊されたにしろゆるやかになってきたとき、情報が共有されるならば、異常に濃いオタクとか出てきてもいいはずなのだが、一向に出てこないという不満なのだろうか?
      • もしかしたらくすぶっているだけなのかもしれない。
      • ある一定の抑圧の問題。抑圧がなければ昇華が無いように、オタク公共圏が抑圧によって昇華させるような関係であったとするならば、抑圧がなくなればそれほどオタクも濃くはならないという精神分析的問題
    • ただ、恐らく岡田氏のオタク的な部分は認知範囲の狭さ、アンテナの低さが成せるわざともいえそう。認知範囲が狭いと、自分の好きな情報が入ってこない=飢え=クリエイティブという連鎖反応が起きるのに対して、認知レイヤーがある程度広がれば、何処かに自分の好みの作品があって、別に創作なんてしなくても誰かが作ってくれるよねというところで満足してしまうという
      • クリエイティヴなことをするためには認知範囲を狭くすること=バカになることは重要
      • でも、その上でやはり「自分の好きな情報がない」というところでクリエイティヴになるとそれはそれで凄い結果が生まれそうな気がする。
  • 要するに、これってオタク格差社会になったと言えることもできそう。つまり、濃いオタクは際限なく濃くなっていくのに対して(情報を手に入れようと思えばいくらでも手に入るから)、薄いオタクは限りなく薄くなっていくという(情報で満足しようと思えばいくらでも満足できるから)。ただ、それが不幸せといえば、それはやはり岡田氏にとって不幸せなだけであって(もっといえば第一世代にとって不幸なのであって)、第三世代はそれほどのほほんとしている側面はある。
    • だからといってオタク格差社会といったところで何も問題になるわけではない。いわゆる日本の格差社会と違って、それで死ぬ人が出てくるわけではないので。もちろん、オタク文化の荒廃ということはできるわけだが、しかしそんなものは濃いオタクが作ればいいじゃねえかという話にもなる。というより、逆に濃いオタクは以前と比べて出てきやすくなったともいえそう。→制作費なんかの問題で
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