2007-11-05
■ 思考回路

思えば高校のときから自分にある「おかしさ」が前景化した。
そして学校に行かなくなった、というより行けなくなった。
この種のことの原因探しは不毛であるが、自分にいまだに深く根付いている「思考習慣」だとか「くせ」がそこらへんに見つけられる気がする。
原因のひとつは部活で責任を負われる役職についたことによるものだった。
男子校のギリギリの人数でやってた吹奏楽部だった。僕は音楽が好きで入った。けど音楽の知識に関してはからっきりだった。音楽監督という役職を与えられたのだが、僕はあまりに力量不足だった。
知識だけでない。中学のときに吹奏楽部に入ってたときもそうだったが、自信も足りなかった。自分の思ういい音、いい合奏がなかった。自分がなかった。楽器もそんなにうまくもなかった。ただ楽器を吹いて音を出すのが楽しかっただけだった。
今でもその傾向がある。人に意見されると自分の意見に対し疑いが生じる。それはいいことでもあるが、のらりくらりとしていつまで立っても自分の意見が定まらない優柔不断な態度になってしまう。そこは弱点でもある。人につけ入るスキを与える。
そのくせ僕はどうやら見た目だけはしっかりしているように見えるそうなので、学級委員やら生徒会員やらそんなめんどくさい役職を押し付けられるスキを与えてしまうようなのだった。
僕自身もどちらかというと前に出たがりな部分がある人間なので嫌いではなかったのだが、中学校の生徒会はつまんなかった。だから辞めたときはとてもうれしかった。自由になれると思って。
僕はつまらないことに縛られすぎていた。高校を結果辞めるしかなかったのは、そのつまらないことに縛られ続けている自分がイヤだったからでもあった。結局、縛られたまんまということには変わりはないのだが…。
でもあのおかげで見えたものがいくつかあったことはたしかなのだ。
それを言葉にするのが難しいことなんだが。
僕はずっとそれを言葉にする作業を続けているのかもしれない。