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2007-03-09

格差とかワーキングプアとか希望とか 格差とかワーキングプアとか希望とか - レゴブログ を含むブックマーク はてなブックマーク - 格差とかワーキングプアとか希望とか - レゴブログ

なんだかでっかい視点と一人ひとりの人間の問題とかが入り混じっちゃったりして分かりにくいことになってるんだよね。

なんというか、こう広くマクロな視点から見れば社会の人間たちの何割かが、原因理由はともかくとして、貧困の状態になるだろうなーてことはもう確率的にあるわけだ。

そのとき、その貧困の状態の人間を個別に見ていくと、働きたくても病気で働けなかったり、低賃金の使い捨ての日払いバイトで働くしかなかったり、そもそも働く気力が無かったり、働いたら負けだと思う人も一部にいたりする。

誰かも言ってたけど、玄田有史とかが言い出した「ニート」の議論あたりからなんだかその両者が混同されて、つーか俺が一人で混同してるだけかもしれないけど、格差社会と働けない、あるいは働かない若者の個別の問題が結び付けて考えられてきてたと思う。

あの頃の「ニート」議論の問題点は働く気力の無い若者ばかりが問題化されて、働いたとしても安い給料しかもらえない今で言うワーキングプアとかフリーターの問題が見えにくくなってしまっていたことだ。だから最近のワーキングプアの議論を見てるとそういう不毛な場所からは抜け出したんだなーと思う。

そういえば玄田は「ニート」と呼んだ若者に対して「希望学」だとか言い出して働く方向に動機付けようと一所懸命、余計なお世話をがんばってやってるわけだけど、結局「社会的弱者」扱いの若者、あるいは低賃金労働者にとっての「希望」なんてこの社会の内部にあるはずも無く、あったとしても例の赤木氏のように「戦争」だとか、あるいは「安楽死」だとか「国会自爆テロ*1だとか社会の外部にしか見つからないだろう、つまり社会システムの更新(戦争)あるいは社会システムからの離脱(死)だけだ。

希望学」とやらが何をやってんのか全く知らないけど、若者たちの前にニンジンでもぶら下げてもっと走らせてやろうとでも思ってるのだろうか。

*1:最新号の「ビッグイシュー」より