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2007-05-26

同人誌と表現を考えるシンポジウム

| 03:20 | 同人誌と表現を考えるシンポジウム - furukatsuの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 同人誌と表現を考えるシンポジウム - furukatsuの日記 同人誌と表現を考えるシンポジウム - furukatsuの日記 のブックマークコメント

詳しい内容については、多くの人がレポートを出されているのでそれを確認してほしい。とりあえず、私のオススメは墨東公安委員会氏の「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記である。まとめとしてはd:id:marya_hi:20070520を参照されたい。

さて、本稿では私がこのシンポジウムでの一連の議論で問題に感じた点について簡単に触れさせていただく。


それは、一言で言ってしまえば、当局との妥協的な姿勢にある。

まず口火を切ったのが第二部冒頭の永山薫氏の発言である。その要旨はいたずらに規制側との対決姿勢を強めるべきではないというものであったが、これはあまりにも現状認識が甘いと私は考える。

その発言に続いた伊藤剛氏の発言も同様に規制側に対し、説得を以って臨むことを主張していたが、このような姿勢がさらに規制当局を勢いづかせ、さらなる規制を招く元凶になると私は考える。伊藤氏は「利害の調整」によって規制当局やそれと結託する連中との妥協的な関係を構築し、それにより事態の解決をはかるべきと主張するが、現状はもはやそのような段階にはない。

確かに、これは利害の対立である。しかしながら、この利害の対立はもはや決定的な段階に至りつつある。教育再生スローガンに彼らはさらなる圧迫を強めている。現状はついに同人にまでその矛先が至ったにすぎない。エロマンガであろうがエロゲーであろうが、バイオレンスゲームであろうが、またはやおいや過激な女性少女向けマンガ雑誌であろうが、もっと政治的なものであれば反戦平和マルクス主義などもあるが、彼らはこれら「気に入らないもの」を排除したくて仕方がないのだ。ここで彼らは漠とした不安を大衆に向け宣伝し、その不安感に狩られた大衆を後楯に規制当局はますます増長し、我々を封殺しようと企んでいるのだ。

彼らは何か問題があったとき、そのスケープゴートを求める。そして、そのスケープゴートは自らが気に入らないものにする。その因果関係は、彼らがあると思えばそれでよく、そこに科学的な立証などは必要ない。なぜならば、問題の責任を回避でき、気に入らないものに対するネガティブキャンペーンが張れるのである。彼らにとってメリットしかない。


そう、もはや状況は完全に非妥協、非和解の対立関係へと至っているのである。


彼らは断じて我々、つまり、このような彼らが気に入らない情報をばらまく連中を、またその情報存在を許しはしない。同時にまた彼らは優秀であり、我々の外堀を一歩一歩埋めようとしている。であれば、これに対して我々は妥協的に、かれらの温情の下で細々と生きることを選択すべきか。断じて否、断じて否である。そのような方策をとればいずれジリ貧となり彼らに圧殺され屈伏させられるであろう。彼らが見せる妥協的な姿勢は、単に現状では彼らの主張を徹すことが困難であるという事実を示しているに過ぎない。いずれは自らの主張を徹すべく、虎視眈々と次の状況を待っているに過ぎない。つまり、最早相手に妥協を迫ることはまったく無意味である。

であれば我々はいかにすべきか。それは非妥協、非和解の対立関係であることを明らかにし、これに対して徹底的に闘うという方針を確立すべきなのである。オタクと呼ばれる者、腐女子と呼ばれる者、表現者と呼ばれる者、その他彼らに圧殺されようとしている全ての人民の力を結集し、団結してこれに向かって闘うことが要請されているのである。

具体的に我々は何をすべきか。現状で彼らにとって、我々を弾圧することは現状でメリットしかない。であれば彼らに対して我々を弾圧することはデメリットであるということを知らしめなければならない。そしてそれは三つの柱によって達成される、それは政治経済、軍事である。

第一に政治家というのは落選すればただの人である。ブルジョワ経済学において政治家の行動の規準は再選目指すという合理性に基づいているとなっている。であれば、彼らの再選を阻止するような、ないし彼らの再選をなしうるような強力な圧力団体、つまるところ集票マシーンの構築が必要である。可能であれば議会へと打ちこまれた一本のくさびとなるような議員が居れば望ましいが、すくなくとも我々の中で現在投票権を持つ人々の行動をある程度集団的にコントロールできれば、彼らはそれに対して何かしらの妥協をせざるをえない状況へと追い込まれる。

第二に経済であるが、いわゆるオタクによる経済効果現在非常に大きいという報告があがっている。であればこの経済効果を意図的に縮小する、ないし特定分野に振り向けるといったような行動が可能であることを示せば、これを無視することはできないだろう。彼らが不利益を被るような経済操作が少しでも可能であることを示せば彼らは妥協をせざるをえない。また各分野に潜り込んだ活動分子がサボタージュその他の行動をとれば彼らはこれを無視することはできないであろう。多くの先端的な情報産業分野などは、いわゆるgeek存在なしにその運営は不可能である。

第三に軍事であるが、まずこれは人は殴り飛ばせば言うことを聞く、という事実がある。また、なのはさんの例を紐解けば分かるように、話を聞かせるためにはまず殴り飛ばす、ないし殴り飛ばせることを示さなければならない。殴り飛ばす実力の無い者がいくら話を聞いてくれと叫んだところでそのようなものは何の実効性も持たない負け犬の遠吠えである。

そして、この三つの柱を成立させるものがある。それは団結である。我々が団結しなければこのような行動は起こせない。そしてまたそれを指導する強力で徹底的に中央集権的で徹底的に民主的な指導部が必要である。これらをなくして我々の勝利はありえない。

であれば、いやしくもシンポジウムで壇上に立とうという人間は、その指導性を明らかにし、徹底的に非妥協、非和解の敵対関係にあるということを確認しなければならなかったのではないか。私は、妥協的な指導者を信じない。今こそ我々が立ち上がり真に闘う指導部を確立しなければならない。


敵は強大だ。しかし、我々には鉄よりも固い団結と、我が文化を命をかけて守ろうという気概がある。これがあれば絶対に勝てる。いまこそ我々は集結し徹底的に戦わねばならない。