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2009-12-13

[]極限脱出 9時間9人9の扉 20:32 極限脱出 9時間9人9の扉 - いつか作ります を含むブックマーク はてなブックマーク - 極限脱出 9時間9人9の扉 - いつか作ります 極限脱出 9時間9人9の扉 - いつか作ります のブックマークコメント

極限脱出 9時間9人9の扉

予想外に面白い。一週目はBADエンドだった。複数周プレイ前提っぽいかな。以下ネタバレ。随時更新のプレイ日記。右4つ分のEDまでのネタバレを含みます。

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2009-10-30

[]「ユーザーの立場に立つ」という事 03:13 「ユーザーの立場に立つ」という事 - いつか作ります を含むブックマーク はてなブックマーク - 「ユーザーの立場に立つ」という事 - いつか作ります 「ユーザーの立場に立つ」という事 - いつか作ります のブックマークコメント

真にユーザーの立場に立とうとした場合、最も極端な場合には、ユーザーの声を全て無視する事もあり得る。

格闘ゲームのおはなし

大昔、格闘ゲーム「ストリートファイター2」が現れたときは凄かった。そりゃあもう、全世界の若者がスト2をプレイしてるんじゃないかってくらい、どいつもこいつもスト2をやってた。で、そのうち「爽快感がない」っていうユーザーの要望が高まってきて、いわゆる超必殺技を持つ格闘ゲームが台頭してきた。さらに、「スピード感が足りない」という要望もあり、どんどんゲーム速度は上がっていった。「駆け引きの要素が足りない」と言われブロッキングの仕組みが導入され、「スリルが足りない」と言われ一撃必殺の仕組みが導入され、「単調すぎる」と言われ複雑なキー入力でコンボが繋がるようになり、「平面的すぎる」と言われ空中コンボの仕組みが投入され、「1キャラでは飽きる」と言われチーム制が導入されていった。

ふと気づくと、そこにユーザーは殆どいなくなっていた。あれほどいた、スト2プレイヤーたちはどこかに行ってしまっていた。ゲームはユーザーの声を真摯に聞き、ユーザーの声に答える形で進化してきたというのに。

ガラパゴス化

既存ユーザーの声を聞いていると、必然的にこのようなガラパゴス化現象が発生する。

「ガラパゴス化」というとケータイ市場を思い出すが、ここも似たようなもの。新規契約が頭打ちになったと思われた時点で、各キャリアは勧誘競争から、既存のケータイユーザーのライフスタイルの変化に合わせモデルチェンジを繰り返し、互いにユーザーを奪い合う道を選び始めた。

ここに欠けていたのは「新たなユーザーを獲得する」という視点。この時点で海外に目を向けていれば、多様なユーザーに対応するためにケータイは多様化の道を取ったかも知れない(例えば日本のケータイは「電車の中で操作する」事に特化したデザインになっているが、これは偶然起きた進化ではない)。あるいは国内で新たなユーザーを獲得しようと考えていたならば、らくらくホンやディズニー携帯のような新たなセグメントを掘り起こす道をもっと積極的に展開していただろう。

既存ユーザと新規ユーザ

既存ユーザーの声を聞いた場合、もっとも良く聞こえてくるのは「多機能化しろ」という声である事が多い。既存機能にはもう飽きた。既存機能には柔軟性が乏しい。そう言って彼らは多機能化を迫る。

あるいは逆に「シンプル化」を主張する場合もある。自分たちが良く使う機能を、もっと簡単にアクセスできる位置に。階層メニューとか面倒だよ。トップに持ってきておいてよ。ほら、そこのヘッダ部分開いてるじゃん。適当なアイコンでリンクしてよ。説明とか要らないし。ボタンももっと増やそうよ。

サービスは誰のために

既存の顧客のためだけに全コストを費やし、既存顧客の意見を全て受け入れシステムを発展させていく。確かにそれは「ユーザーのため」に見えるかもしれない。

しかしそのために、「ユーザーになるかもしれなかった人々」に不便をかける事は許されるのだろうか。

「新規ユーザーに媚び、既存ユーザーに背を向ける姿勢」というのは、そんなに悪い事なのだろうか。

新規ユーザー(もしくは見込みユーザー)と既存ユーザーを比べて、どちらが大事と言えるものだろうか。

仮に、ものを作る人々の使命が「世界をより良くすること」だったとして。既存の顧客の満足度を高める事と、まだ顧客になっていない人に新たにサービスを提供する事、どちらが「世界をより良く」しているだろう。

既存ユーザーの意見はよく聞こえるが、新規ユーザー(もしくは、そうならなかった人)の意見は小さすぎて、耳を澄まさないと聞こえない。

ガラパゴス化の末路

格闘ゲームの例を挙げたが、奇形な進化を遂げたものは、ユーザーを減らしていき、滅亡への道を歩む事が多い。音ゲーやシューティングなど、似たような例はそこらじゅうで見つける事ができる。

ユーザーは自然に減少すると同時に自然に増加する。「ユーザーが右肩上がりに増える」とは、「ユーザーが増える一方」という事を意味しない。それは「ユーザーは減っているけど、それ以上の勢いで新たなユーザーが増えている」という意味なのだ。「もう規模はじゅうぶんだ、新規ユーザーなんて不要だ、既存ユーザーに奉仕して理想郷を作っていこう」。そう考えた瞬間、そのサービスは縮退をはじめ、そして予想以上に早く消滅する。奉仕しようとした既存ユーザーをも巻き込んで。

フォードの馬

もし私が顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう。

- ヘンリー・フォード

それに加えて、ユーザーは自分が欲しいものすら実は知らない。

実際俺も、ニコニコ生放送に関しては大きく読みを外した*1。そもそもキモヲタの俺はニコニコ生放送のターゲットとなったリア充高校生とは違う生き物だから仕方ないとも言えるが(「既存ユーザーの声は新規ユーザー開拓の役に立たない」という一例だろう)。世界の新着動画も参加するまでどこがどう面白いのか、どう遊ぶものなのかまったく想像できなかった。

おわりに

運営は、何も分かっていない。同じくらい、ユーザーも何も分かっていない。そりゃそうだ、目指している場所が「あさっての方角」なんだから。見た事がないものなんて誰にも分かりゃしない。

結局は数打ちゃ当たる式に、作っては壊し、ユーザーの声を聞いて改良し、たまにリセットしてまた調整し、を繰り返していくしかないのだろう。「何を作るか」だけじゃなく「どう作るか」まで含めて。

それでも、きちんとプロフェッショナルに分析し設計し洗練させていけば、順当に進化させる事は多分可能なんだろうし、それは多分それなりにみんなに無難にウケるんだろう。でも、俺にはそんなサービスが好きになれるとは思えない。世の中にひとつ位、いつ見てもみんなを置き去りにして意味不明な事をしているような、変なサービスがあったっていいんじゃないか、と思う*2

そもそも、あんな大赤字のサービスを何年も運営している事自体、正気の沙汰ではない。「お前らバカか?」ってそりゃパーフェクトなバカなんだろうよ。⑨だしな。

ああでも、ユーザビリティテストと既存ユーザーのモニタリングにはもうちょっと時間とコストを割いてもいいと思うの。

*1:ニコニコββ勝手に考察 - いつか作ります - 断片部 http://fragments.g.hatena.ne.jp/fukken/20081205/1228427287

*2:そういやどこぞの「へんな会社」も最近はずいぶん小奇麗にまとまっちゃったねぇ

2009-10-12

「郊外では自家用車が必須」は恒真ではない 11:49 「郊外では自家用車が必須」は恒真ではない - いつか作ります を含むブックマーク はてなブックマーク - 「郊外では自家用車が必須」は恒真ではない - いつか作ります 「郊外では自家用車が必須」は恒真ではない - いつか作ります のブックマークコメント

創造的思考ができない日本人により池田先生がボッコにされているので、少し書く。池田先生はおおむね嫌いだが、この点に関してははてなーずが頭悪い。

アホな意見の例

  • 郊外では、自家用車を持たなければ生きていけない、非現実的だ
  • 自家用車を撤廃し、公共交通機関の整備で生活するのは無理がある。ジャスコまでバスで行けというのか

街は進化する

id:toriatori 社会, 考え方 日本の田舎町はシリコンバレー同様、自家用車がなければ移動できない構造になっている 2009/10/12

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ikedanob/status/4782184634

星がいっぱいついてたから引いてみた。ブコメはおおむねこういう意見が主流に見える。

「郊外では自動車がないと生活が立ち行かない」のは事実。ベッドタウン構造、郊外型ショッピングセンター、大規模な家電量販店、現在の街の施設は、すべてが自動車の保有を前提として出来上がっている。

でも、それは自動車の保有を前提として街が発展しているからに過ぎない。みんなが自動車を持っている>自動車を持っている人向けに街が最適化される>自動車がないと暮らしにくくなる、という流れだ。みんなが自動車を持っていないのが当たり前の社会になれば、街はそれに応じて姿を変え(例えば、小規模な商店の復権や商店街の蘇生など)、生きていくのに自動車は不要になる。

つまり、いわゆる「卵が先か鶏が先か」に類する問題に過ぎない。

ブコメの反論には「(今の日本=自動車社会の中で)個人として自家用車を持たないという選択をしたらどうなるか」という視点に終始した意見が散見される。ノビーが引っ張ってきている論は、「社会全体として」自家用車を保有しないという選択をするという話なので、スケール感が全然違う。10年先の市街計画の、それを規定する国家戦略をどうするかとかいうレベルの話であって、今晩のおかずを買いにいけないじゃない!というレベルの話をしているのではない。

まあ、地に足がついていない、とか、短期的に見ればデメリットの方が大きいという主張は尤もだが*1。学者なんて人種はそういう位置で議論をするものだと私は思っているので、その辺はどうでもいい。あと、実行フェイズで、市街発展が追いつかないうちに規制がかかるとかいうハードランディングじゃなく、ゆっくり移行していくためにはどうすればいいのか、という問題もあるが、とりあえずゴールを先に考えるべきなのでその辺は後回しでいい問題。

公共交通機関(バスなど)で自家用車の隙間を埋める、という発想も間違い。最終的な形は、歩いてor自転車で行ける距離で日常的な買い物が賄える、という図になるので、そもそもバスを毎日のように使えという話ではない*2。休日には遠くのヨーカドーにお買い物ー、なんて時にはバスやタクシーを使えばいい、という話。

私は自動車の免許も持ってないので、個人的には自動車1台に1000万円以上の「社会的費用」に見合う税金をかけるという宇沢提案に賛成。それを駐輪場に使って自転車を無料化すれば、CO2も大幅に減る。

http://twitter.com/ikedanob/status/4758080354

私の話を「都会人の傲慢」だとかいう人は、車をもてない人のことをどう考えているのか。私が免許がなくて困った唯一の経験は、シリコンバレーに1ヶ月いたときだった。町が自家用車をもっていないと移動できない構造になっているので、友人に頼らないと買い物にも行けない。

http://twitter.com/ikedanob/status/4782184634

ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ikedanob/status/4782184634

想像力の限界

「街の構造は社会のあり方(自動車の有無とか)によって変わる」という思考ができない人は、思考が硬直している。与えられた前提を疑いもせずに、その中で頑張って生きていくという姿勢は日本人的だし、ガラパゴスと言われるような日本独自の進化を遂げたアレコレは、こういう風に枠組み自体を考える事をせず、枠組みの中でどうするかについて創造力を集中してきた結果だと思う。

土俵の中でうまく考えられる事に自信を持つのはいい。けど、たまには相撲のルール自体を考え直すという思考を持つべきだ。それができないからiTMSとかMSとかGoogleに全部持っていかれて延々と小作農なんだよこの国は。

追記

後付けで書くのはダサいけど、はてブトップに載ってしまったので一応少しだけ補足。

このエントリは、前提を取り違えた集団が特定個人をもっこもこにして論破気分に浸っているという構図が不愉快だったので口を挟んだだけなので、勘違いなきよう。

上記のような前提を踏まえた上で、それでも反対、という立場は勿論あり得る。こんなものはあくまで未来予想図のひとつに過ぎないわけで。万人が賛同するなんてハナから考えていない。私は自家用車が嫌いで、減らすべきだとは思う。が、ああまで極端である必要があるのかは分からないし、私にとっては別に差し迫って検討しないといけない問題でもない。

*1:そこそこ長期的に見ても、主力産業のひとつである自動車産業が打撃を受けるので、大丈夫なのかなとは思うのだけれど

*2:バスは移行期間を埋める為の補助にはなるかも知れない。インフラとして安上がりだし、不動産じゃないので用済みになっても無駄にならない

fukkenfukken2009/10/12 14:41「b:id:TakahashiMasaki "最終的な形は、歩いてor自転車で行ける距離で日常的な買い物が賄える、という図になる"(だから,田舎でどうやってそれをやんのか(土讃線の普通列車を毎時6本ぐらいにしますか?」▼一般人が自家用車を持てなくなれば、店の方が歩いていける範囲に出店する。自家用車がなくなるのだから、そうしないと客が来なくなる。あるいは、ネット経由で日常的な買い物を済ますというライフスタイルが定着するかもしれない。古き良き生協的共同購入スタイルもあり得るし、焼きたてパンの移動販売や石焼き芋のような訪問販売スタイルも考えられるだろう。いずれにせよ、既存のライフスタイルとは違った形に落ち着く。死にやしない。自家用車が無かった時代の方がずっと長かったし、今だって自家用車のない世界の方が広いはずだ

zxcvdayozxcvdayo2009/10/12 16:39分かっててやってるんだろうし実際に言い換えてもそう大きく結論が変わることはないと思うけど、ブコメ見ても誰一人として言ってないのに「田舎」を「郊外」と書き換えてそれをアホだというのは好きになれません。誠実でないと思います。

yukky2001yukky20012009/10/12 17:19それは当然踏まえて言ってますって。そんな唯物史観的な思考にはとらわれていないというだけで。

retorinretorin2009/10/13 02:09唯物史観的な思考にとらわれないことは大切ですが、安易な思考はよろしくないと思います。
自家用車の利用価値って買い物だけじゃないですよね?

GreenTopTubeGreenTopTube2014/07/20 15:23やはり自動車という占有面積をとるそして重量や速度的にも危険で大気汚染の原因となる車両は少なければ少ないほど地域にとってはよいのですからね。暮らしやすい街ランキング上位はいずれも自動車の要らない街です。そこへ自動車が増えてしまっては危険だしうるさいし臭いし、となる。人口密度の高い地域と自動車の相性は最悪で、だからこそ、アメリカ、イギリス、ドイツなどの先進地域は都市部への自動車流入を規制したり、自動車への取り締まりを強化したり、自転車レーンを整備したりして、自動車から自転車への乗り換えを推進しています。自動車税から駐輪場を作ろう、というのも、そういった考えからの運動の一環でしょう。自動車と比べて自転車の占有面積はあまりに小さいとはいえ、それでもスペースはとるものです。自動車を減らして、そのスペースを駐輪場としての活用もいいですが、もうひとつの選択肢として、エリア内にいくつもある拠点なら、どこにでも返却できるレンタサイクルシステムがニューヨークでなされています。送り迎えにしても、子乗せ自転車が安心安全に通行できるような環境のためにも、自動車への規制強化、自転車のための総合的な環境整備が理想的ですね。地方では自動車乱用により運動不足からのメタボリック症候群による壊疽や心臓病、脳梗塞などが蔓延し、地域の医療費負担を増大させているわけですから。そこで運動になる自転車の出番というわけです。重く大きな乗り物である自動車が減れば重大事故も減り、事故が減れば事故にまつわる医療費も減る。コンパクトシティ、そして自動車抑制は、郊外、地方、田舎すべてにおいて生き残るために必要になってくることでしょう。
NHKクローズアップ現代 わが町を身の丈に で取材を受けた自治体職員曰く
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」
のですから。
自動車にしがみつけば自滅してしまうことは、もう全国の自治体職員は気がついているのではないでしょうか。自動車中毒とも言える状況なのに、なかなか思い切ったことがしにくく、歯がゆい思いをされていることだとおもいます。
自動車乱用により郊外化が蔓延し、やがて自滅してしまう。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/archive?word=*%5B%BC%AB%CC%C7%A4%B9%A4%EB%C3%CF%CA%FD%5D

GreenTopTubeGreenTopTube2014/07/20 15:32fukken氏の意見に賛同いたします。私も自家用車が嫌いで、減らすべきだと考えています。なぜながら、それが中長期的に見ても人々のためになるのですから。自動車の社会的費用は、あまりに大きすぎる。もはや手におえないのです。ならば減らすしかないのですし、自動車を減らすことが根本的な解決になるのですから、その推進になんらの遠慮も要らないわけです。こう言うと自動車中毒の人は唾を吐いて反論しますが、いずれ目が醒める日がくることでしょう。自家用車という大きな重たく危険な鉄の箱を、個人的な理由で騒音と排ガスを撒きながらその車体で人々をおびやかす社会的負荷、安全負荷を冷静に考えてみれば、わかろうものでしょうが。自動車というのは一瞬にして大勢の人命を奪う、爆弾や銃と同等の凶器です。そんなものの数は、少なければ少ないほどよいに決まっている。そして、こんな話もあります。

青山繁晴さんは自分はレーサーなのに、自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという。青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい。乗らないことにこしたことはない。車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」

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