Midnight e-Rhetoric-al Parade

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2008-02-15

[][]無題 23:07 無題 - Midnight e-Rhetoric-al Parade を含むブックマーク はてなブックマーク - 無題 - Midnight e-Rhetoric-al Parade


たとえば好意を持った相手から好意を受けるための条件をメリトクラティック(こういう言い方は正しくないかもしれないが)に捉えると、好意を得られないのは条件を満たしていないからだということになる。でも実際は具体的な行為としての「条件」はなく、それこそ「なんとなく」くらいのキッカケの場合がほとんどではないだろうか。

「条件」というのに固執すると、同じ行為をしても好意を「受けられる」場合と「受けられない」場合が生じたとき、後者は混乱し、あるものはその状況を認めようとせず、あるものは無理やりに納得しようとする。

前者はたとえば「ストーカー」のような行為によって顕れる。後者は心中で自らを「無価値」と断じる。前者は他人に危害を加えるので問題が顕現しやすいが、後者は内心の現象なので表に顕れにくい。「ストーカー」などは法で規制できる分(相対的に)対処しやすいが、「自己価値の否定」はそうでない人には理解できないもののため、相談する等しても説教されてしまうなどかえってこじらせてしまうこともある。それゆえ、こちらの方が問題の根は深いかもしれない。


たとえば誰かが、「子供のころのいじめの体験のため人を信じられず孤独感にさいなまれている」ことを告白したとして、果たして彼の悩みは昇華されるだろうか。「そのいじめた人間と今の周囲の人間は違う人格である」と諭され、「その思考は間違っている」と論難されるのがオチである。「自己否定の告白」が新たな「自己否定」を呼び寄せてしまう、というところか。

ではどうすれば「自己否定」から逃れられようか。自分の中の「否定の声」から耳を閉ざし、あらゆる「自己を否定するもの」から遠ざかるしか方法はないのではないか。具体的方法はまだない*1

*1twitterで投げ散らかしたのをそれっぽく推敲した程度のものなので基本的にまとまってない。しぇゃーんじゅきゅー、ヨンジュー。

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