2009-11-04
■ [漫画][4コマ漫画]4コマ漫画に「起承転結」をあてはめたのは誤りだったのではないか

404 Not Found | このページは存在しないか、すでに削除されていますを見て思ったのだが,4コマ漫画に起承転結をあてはめたのは誤りなのではないかと思いつつある。
昔の漫画の書き方本について
残念ながらいま手元にない(家のどっかに眠っていると思われる)のだが,昔の「冒険王」とかゆう子供向け漫画雑誌の出版社が出していた漫画の描き方本(タイトルなど忘れた)で,4コマ漫画は起承転結にしたがって書くようにとの説明があった。その説明では,1コマ目=「起」,2コマ目=「承」,3コマ目=「転」,そして4コマ目が「結」という構成にしろ との主旨の記述があった。自分も小さいころ その説明を読んでいて,4コマとはその通りに書かなければならない と考えていた。
また,Wikipediaには
一行目から順に起句、承句、転句、結句と呼ぶ。元の意味から転じて、小説や漫画など物語のストーリーや論理的な文章などを大きく4つに分けた時の構成、または各部の呼称としても使われる。起承転結の典型的な例として4コマ漫画の構成などがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E6%89%BF%E8%BB%A2%E7%B5%90
* 物語における起承転結の一例
起 → 物語の導入部。その物語にはどんな登場人物がいるか、どんな世界・時代に住んでいるのか、登場人物同士の関係はどんなものか、なぜその物語は始まるのかなど、これから物語を読む上で必要な知識を紹介する部分。
承 → 「承」は「受ける」を表し[1]、「起」で提起した事柄を受け、さらに進めて理解を促し、物語の導入である「起」から、物語の核となる「転」へつなぐ役目を果たす部分。ここは単純に「起」で紹介した物語を進めるだけで、次に続く「転回」または「展開」が誤解されることがないように備えておくものであまり大きな展開はないのが普通。
転 → 物語の核となる部分。「ヤマ」ともいわれる、物語の中で最も盛り上がりを見せる部分。物語の中でも最も大きな転機を見せる部分であり、読者が知らなかった事柄や想起を超える展開をすることによって関心や興味を引く部分となる。
結 → 「オチ」とも呼ばれる部分で、物語が進んだ結果、「転」での結末が最終的にどうなったのかを描いて物語を締めくくる部分。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E6%89%BF%E8%BB%A2%E7%B5%90
と記載されているし,他のサイトでも
まんがの基本型とされる4コマまんがの各コマの役割を表わす。文章の構成を四段階に分けて示す起承転結を各コマに当てはめたもので、始めのコマ(起)があり、二つ目のコマ(承)で始めのコマを受け継ぎ、三つ目のコマ(転)で話に意外な展開を作り、四つ目のコマ(結)でオチを作ることを示している。
と説明されているように,4コマ漫画の1コマ目から順に起承転結になっているのが原則というのは比較的一般的な認識となっていると考えられる。
「起→承→転→結」にしたがっていない4コマの例
しかし,実際には1コマ目=「起」,2コマ目=「承」,3コマ目=「転」,そして4コマ目が「結」という構成になっている4コマ漫画は少ないのではないか,と思っている。その点を説明している記事として,考察:4コマ漫画に「起承転結」という表現は適切か - 編集日誌になれませんというすぐれた文を発見したのでご紹介したい。
4コマ漫画の構成を語る場合、「起承転結」という言葉がよく使われます。しかし、「起承転結」という言葉は、本当に4コマ漫画に当てはまるのでしょうか。「ほとんどの場合、当てはまらない」というのが私の意見です。
ここで、多くの人が違和感を覚えるのではないでしょうか。第3の転句で「詩意を一転し」となっていますが、4コマ漫画の場合、「詩意を一転」するのは、3コマめではなく、むしろ4コマめのオチの役割です。
〔中略〕
しかし、4コマ漫画の場合には、3コマめで場面転換をし、世界を広げる必要性は、特にありません。起承転結の「転」は、4コマ漫画には必要ないと思われます。
この引用箇所だけで 実はわし(高橋)のいいたいことがすべて説明され尽くされているので,もうこれ以上かく必要もないのであるが,それではあんまりなので,有名な4コマ漫画から「起承転結」になっていない実例をいくつか紹介したい。なお,以下,説明のために漫画のコマを引用する。また,起承転結の有無などについて説明するためにはすべてのコマの内容を理解していただくことが必要となるため,作品の4コマをすべて引用するものとする。
サザエさんの例
以下に引用するのは,「またまたサザエさんをさがして」(朝日新聞be編集グループ編,朝日新聞社)の79ページに掲載されていた,1962年7月4日朝日新聞朝刊掲載のサザエさん。
「またまたサザエさんをさがして」(朝日新聞be編集グループ編,朝日新聞社,79Pより引用)
この漫画の各コマを順に見ていきたい。
(1コマ目)これが「起」なのは明らかだと思う。
(2コマ目)カツオをたたいたサザエにフネが反論。家族間のけんかが激しくなる
→ 「起」の状況が進展しているため,「承」となる。
そして問題は3コマ目である。このコマの内容(フネにマスオが再反論(サザエ擁護のため?)してけんか継続中。で,その最中に波平が帰宅してきた)は,どうみても2コマ目の状況(家族のけんか)が継続しているだけで,「転」となるものごとが起きているわけではない。
さきほどのWikipediaの起承転結の説明では,「転 → 物語の核となる部分。「ヤマ」ともいわれる、物語の中で最も盛り上がりを見せる部分」「物語の中でも最も大きな転機を見せる部分」「読者が知らなかった事柄や想起を超える展開をすることによって関心や興味を引く部分」と説明されているが,この3コマ目はけんかが継続しているだけで話が盛り上がっているわけではない(波平が帰宅して「一体ことのおこりは~」と聞いているが,これは父親というか家族として当然のことで,特に話が盛り上がっているとは考えられない)。また,意外な展開などが起こっているわけでもない(これが,波平が帰宅したらなぜかみんな仲直りしたとかゆうなら「転」となると思うんですけど)。
よって,この3コマ目は「承」が続いているだけと考えるしかない。
(4コマ目)ここで,けんかの原因が実はそうめん*1
であったと判明し(これが「転」),波平大ショック(「じ つ に く だ ら ん !」)=「結」
よって,以上の4コマは,「起」→「承」→「転」→「結」ではなく,「起」→「承」→「承」→「転結」となるのではないだろうか。
となりのやまだ君の例
続いて,いしいひさいち氏の朝日連載「となりのやまだ君(現:ののちゃん)から。
「となりの山田くん全集2」(いしいひさいち,徳間書店,60Pより引用)
この漫画の各コマを順に見ていきたい。
(1コマ目)この作品についても,これが「起」なのは明らかだと思う。
(2コマ目)古いアルバムをみんなで見る。おとうさんが若いことに驚く
→ 「起」の状況が進展しているため,「承」となる。
(3コマ目)さらに古いアルバムをみなで見続ける。のの子もこんなに小さいと喜ぶ。これも,2コマ目の状況(アルバムをみんなで見る)が継続しているだけで,「転」となるものごとが起きているわけではない。
→ やはり「承(の続き)」である
(4コマ目)おばあちゃんのみ昔と変わってない(みんなと違う=「転」)と指摘し,これがオチとなる。しげ(おばあちゃん)が「ほっといてんか」とツッコむ(「結」)
やはりこの4コマも,「起」→「承」→「転」→「結」ではなく,「起」→「承」→「承」→「転結」となるのではないか。なお,これと同様の「4コマ目にオチなどが来ている」作品が,「となりの~」や「ののちゃん」に結構みられる(他の有名な4コマ漫画でも,おそらく同様の結果になるのではないか)。
実際,4コマ漫画ではオチを最後のコマに書く事が多く,そして多くの場合はオチがすなわち転としての役割をもっていることが多いので,「起」→「承」→「承」→「転結」の構成にした方が描きやすいのではないか,と考えられる。
(404 Not Found | このページは存在しないか、すでに削除されていますにて,
起承転結はもう古い
今は起承承承・起承承転・起承転承・起承転転・起承承結
と説明されているのは,上記の構成のことと思われる)
有名な4コマの過去の作品を全部検証してみれば……ってできるかい
もっとも,上記のような構成になっていないもの(「起」→「承」→「転」→「結」となっているもの)も当然あるわけで,すべての4コマについて起承転結が成立していないとはいえないのだが,自分の経験上,上記のような「起」→「承」→「承」→「転結」の構成の作品の方が,実は4コマ漫画全体において多いのではないかと考えられる。ただ,定量的・統計的な証拠をだせといわれると困るのでござる(弱気)。
(いちど,有名な4コマ漫画(ののちゃん,フジ三太郎,サザエさん,コボちゃんなど,その他毎日や産経などの有名紙の過去の4コマ及び有名な雑誌掲載のもの)をすべて確認して,「起」→「承」→「転」→「結」となっていないものの数を数えようと考えたが,時間的にとうてい無理とわかった。)
課題:だれが「4コマ=起承転結」といいだしたのか
さらに課題があって,だれが「4コマ=起承転結」といいだしたのかなどの点を突き止めたいのだが,これについては過去の漫画作品や,漫画入門書などを総ざらえで検証しなければならないため,自分ひとりでは困難である(複数でも困難だけど)。ただ,この点については今後も研究していきたい。
余談:いしいひさいちの衝撃的な構成
以下は余談だが,自分がいままで見た中で最も「起承転結」からはずれている4コマが,いしいひさいち氏の名作「バイトくん」にあったので紹介。
「バイトくん」(いしいひさいち,プレイガイドジャーナル社,240Pより引用)
これ,1コマ目からもうオチ(青年が名乗った偽名の書き方がおかしい)が半分ばれているので,1コマ目=「起&結」となっているわけで,1コマ目からオチをばらしてしまっているわけなのである。
さらに2コマ目でもオチの一部が説明され(「承&結」),読者が「この青年の名前がバイト先に誤って認識されている」というオチが読者に完全にばれているのに,3コマ目以降が続けられているのがとてもおかしい。
普通の「起承転結」だったら,以下のようになると思う。
(1コマ目=起)青年「青井一郎です えーと…」社員「『あお』ね,それから…」
(2コマ目=承)めがねの青年「爆弾用の薬品かっさらうまでだ。…」
青年「うむ。ありふれた偽名…」
(3コマ目=転)青年「いかん。ばれたらしい。みんな…」
めがねの青年「う~~む えらく察しがいいな。」
(4コマ目=結)青年の履歴書(?)のような書類が示されているコマ。「蒼緯1蝋」と名前が書かれている。
よって,普通に考えたら明らかにありえない構成なんだけど,それをやってしまういしい氏はやはりすごいと思った。
*1:なお,本当は色めんが入っているのは冷麦で,そうめんではないのだが,これは作者の長谷川町子氏が冷麦をそうめんと勘違いしていたためではないかと前掲「またまたサザエさんをさがして」で説明されている
そうとも考えたんですが,でも場所は家の中,原因がわかったのは最後のコマなので
やはり「転」というには弱いと自分は考えております(でも,どの作品も解釈の
違いでかわるかもしれないのだけど)
よく考えるといしいひさいちは凄いですね。
よく考えるといしいひさいちは凄いですね。
ども ありがとうございます(いしいの凄さについてはまた別に書きたいものです
この4コマの落ちは「この青年の名前がバイト先に誤って認識されている」ではないのではないか。
この二人は赤軍か何か知らないが、地下に潜って生活しているようだ。
そういう人は周りの目を極度に気にする。
青井君は「いかん、ばれたらしい」と言っているが、おそらくばれていない。
みんなじろじろ見るのは、変な名前だからだ。
それをばれたと勘違いして恐れているのが落ち。
3コマ目の椅子の後ろの人の表情は、連合赤軍など一部の先鋭的な人を除いて、もはや学生運動はシラケていたということを表しているのではないか。
そんな中、つまらない勘違いで恐れている青年を哂っている。
「お前らのやってること自体が壮大な勘違いだよ」というのが、いしい氏の言いたいことではないか。
そのためには、文字の誤変換など些細なことは1,2コマ目で済ませておく必要があったのではないか。
>そんな中、つまらない勘違いで恐れている青年を哂っている。
>「お前らのやってること自体が壮大な勘違いだよ」というのが、いしい氏の言いたいことではないか。
これは気付きませんでした……そうかもしれませン