2008-10-12
■ [喪男][非モテ]「草食系男子の恋愛学」を読んで~劣等感と自己嫌悪の解消のためには

〔中略〕……なるほど。しかし、俺にはお前の左足を踏んでいるのは、お前自身の右足に見えてしかたがないんだよな。
はっきりいおう。「被差別者の痛み」をなりたたせているもっとも本質的な要素は、被差別者自身のコンプレックス、劣等感である。社会的抑圧が強くても、それがなければ被差別の痛みは起こらない。
差別問題について考えている人のなかでも意外に理解されていないのが、被差別者自身が自分の劣等性を内面化している、ということである。つまり被差別者は、無意識のうちに自らを劣っていると思っているのだ。〔後略〕
「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」(灘本昌久著、径書房、P192~193、以下、引用の強調は注記のない限り全て引用者によるもの)
以下の文章は、森岡正博氏の「草食系男子の恋愛学」(以下「草食系」と略)を読んだ後に、思ったことなどをかきならべているものです。なお、「草食系」の書評にはなっていないことを、あらかじめご了承ください。自分には書評は書けないし(つーか、書に限らず、自分は「批評」自体ができないこともある)、最近のweb上での本格的な同書評としては世界のはてなど、優れたものがあるため*1、自分などが何を書いてもこれらにはかなわないと思う次第。よって、同書の批評とかではなく、同書の第3章*2をだしにして(失礼)ふだんからの自分の考えを書いてみたいわけです。
1
自分が「草食系」を読んでみようと思ったのは、『草食系男子の恋愛学』という本を出します。 - 感じない男ブログにて著者ご本人が紹介されていた「はじめに」(前書き)の以下の部分が"心にきた"ためなんですな。
私は自分に劣等感をもっていた。
背が低く、もやしのようなひょろひょろの身体をしていて、他人の目を見て話をすることができず、日常会話や雑談をするのも苦手で、アパートの部屋にひとりで閉じこもっていた。中学・高校のときにもデートをしたことはなく、思春期に身近にいた女性は、母親だけであった。大学生になって、合コンにたびたび行くのだが、女の子と話が盛り上がることはけっしてなく、いつも最後は男たちだけで飲みに行くのであった。
私の中で、劣等感がしだいにふくれあがり、それはどす黒いかたまりとなって、心の底でうごめいた。「自分はモテる」と自慢している男のことを冷ややかな目で眺め、小さな殺意に似た気持ちが湧きあがることさえあった。
この部分は、自分にもよくわかります。私自身もかなり劣等感を持っており(というより、劣等感そのものが人間になったようなものが最近までの自分である)、34歳で彼女いない歴が年齢とイコール*3であり、萌え連でエロ画像収集するのが趣味で…ってこんなことかいてもしょうがないのでこのへんにしますが、とにかくこの部分がぐっときたわけです。
森岡氏は、「草食系」第3章で、「女性が求めているのは「人間的魅力」」と説き、
多くの女性たちが、何よりもまず知りたいと思うのは、男性の「人間的な魅力」である。その男性の、感受性や、思考方法や、経験の蓄積や、観察力や、道徳性や、不良じみたところや、情熱の度合いや、安心感など、すべてをひっくるめた人間的な魅力がどのくらいあるのかを、女性は知ろうとするのである。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P158、この強調は原文のまま)
と主張されます。しかし、「劣等感」を持っていると、こうした魅力を育てることができず、(さらに異性にもモテない?)と主張されます。
人間的な魅力を育てようとしたときに、それを妨害するものが、あなた自身の中にあるかもしれないのだ。
それは、「劣等感」である。
劣等感とは、容姿がよくないとか、とても太っているとか、人前でうまくしゃべれないとか、学歴が低いとか、頭が悪いとか、スポーツがぜんぜんできないとか、モテないとか、そういったような「自分が他人よりも劣っている」というつらい意識に悩まされることである。
〔中略〕
問題は、劣等感によって男が振り回され、それによって、その男の人間的な魅力がかき消されてしまうところにある。そうなったら、いくら男の中に味わい深い魅力があったとしても、それを誰にもアピールできなくなってしまう。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P162、この強調は原文のまま)
| 森岡先生、その、「容姿がよくないとか、
| とても太っているとか、人前でうまくしゃべれないとか、
| 学歴が低いとか、頭が悪いとか、スポーツがぜんぜん
| できないとか、モテない」って、全部私にあてはまるんですが
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…………まぁわしのことはともかく、この「劣等感」などが問題だ というのが、重要なのだと思います。森岡氏はこう語ります。
自分に劣等感のある男は、次のようになってしまう傾向がある。
たとえば、好きな女性をデートに誘おうとしたときに、「自分みたいな、魅力のまったくない男なんかと話したって、きっと面白くないに違いない」という劣等感が、ふつふつと湧き上がってくる。
すると、自分のすべてのふるまいに自信がなくなってしまい、その女性の前に行ったときも、妙におどおどしたり、視線を合わすことができずにうつむいたままになったりする。その結果、女性に向かって誘いの言葉を言い出すことができず、「やっぱり自分なんかダメなんだ」と一人で激しく落ち込むのである。
このようなことを繰り返すうちに、「自分は男の魅力なんてまったくないし、つき合っても面白くないんだ」という劣等感がますます強化され、「こんなことなら、もう恋愛などしないほうがましだ」というところにまで追い詰められていくのである。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P163~164)
この部分を読んだとき、心になにかが刺さりました(陳腐な表現で恐縮ですが)。それは、自分自身がそういう人間でもあると同時に、過去にもweb上で同様な劣等感に苦しんでいると思われる人を見てきたからです。
2 劣等感に苦しむ人の実例
このような「自分みたいな、魅力のまったくない男なんかと~」という劣等感は、女性にもてない(恋愛できない?)ことなどで悩んでいる、いわゆる非モテ系や喪男の人の意見によく見られます。以前、はてな(はてブ)等で話題になった以下の記事など、その例です。
いじけが強く誘発される女性のタイプは、とにもかくにも外見がいい.
スタイルなんかは5段階評価の5.〔中略〕あ、あと声がアニメ声だったりするとこれ最強.
こんなの、僕にとっては眼の保養どころかかえって毒ですから.
こういう女の子は、僕のオスとしての能力をチェックされているようで、怖い.
こちらがみかけるだけならまだしも、キャンペーンの衣装を身にまとったモデルクラブにでも所属しているような女の子に、製品説明かなんかで声をかけられると、いたたまれない気分になる.(そうですよ、他人から見たら「鼻の下のばしちゃって」なんて思われるかもしれないけど、実際はうれしいことばかりじゃないんですってば)
話していても、相手の心の声が聞こえてくる感じがするのです.
「けっ、ノリの悪い男だなあ」「おまえなんか、こういう機会でもなきゃ女と話す機会もないんじゃないの?」「私が声かけてあげてるんだから、ありがたく思いなさいよ」….こういう罵声が頭の中を駆け巡るから、僕は余計に緊張して、どもり、汗が噴き出るわけです.そうなるとあとはポジティブ・フィードバック(妊娠期のホルモン分泌などのように、分泌されたホルモンがさらに大量のホルモンを分泌させるようにはたらくこと.文学的表現なら「堰を切ったように」か?)がかかって、余計にふつうでいられなくなる.挙動不審になる.
http://kammyblog.seesaa.net/article/1107085.html 、kammy氏の以前のblogより。なお、このURLは現在は無効のため、自分(高橋)が保存していたファイルから引用)
これはkammyさん(現在は別のblogなどを公表していて、恋愛話はあまりしていない)の過去記事から。以前、美女により惹起される劣等感 - ARTIFACT@ハテナ系にて紹介されていたもの。(なお、実はこれを読んだのが わしがこのへんの問題に関係することになったきっかけの一つです)
また、Piroさんの以下の記事もそうでしょう。
「彼女」に対してはためらいなく「かわいい」と言えるけど、そうじゃない人には言えない。というかなるべくそういうことを考えないようにしてる気がする。
その人が僕に「綺麗だ」とか「かわいい」とか言われて嫌な思いをするんじゃないか、と不安になる。「俺は俺自身のためにオシャレしてるんだ、てめえなんぞの目を楽しませるためじゃねえんだよ。」とか「てめえみたいなハエにたかられちゃ迷惑なんだよ、俺は蝶を引き寄せてえんだよ。こっちくんな。」とか「異性として意識されるのがほんとウザい……頼むからそういう目で見ないでくれよ。」とか思われるんじゃないかと思うと、言えない。言われて相手がいい気分になる様子、が想像できない。
(社会的に、世間的に、などいろんな意味で)圧倒的強者たる女性様に対してゴミカスみたいな自分が軽々しく「評価」を下すこと(そしてその結果不愉快な思いをさせること)は罪悪ではないのか? という不安。
http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2008-09-17_kawaii.htm
| ……だからなんであんた
| そう自虐的やねん!
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(いや、この人は(自分と同じような感じの人間であるにもかかわらず)なんかイライラさせられるので)
森岡氏の主張される「自分のすべてのふるまいに自信がなくなってしまい」、「自分は男の魅力なんてまったくないし、つき合っても面白くないんだ」という劣等感がますます強化され」るというのは、まさに以上のようなことなのだと思います。
なお、以上の意見で注意してほしいのは、「他人から実際に悪口などを言われたのではなく、すべて本人(kammyさんやPiroさん)が勝手にそう考えているだけ」ということなのです。
よく読んでみてください。
「相手の心の声が聞こえてくる感じがするのです.」「こういう罵声が頭の中を駆け巡るから」(Kammyさん)
「その人が僕に「綺麗だ」とか「かわいい」とか言われて嫌な思いをするんじゃないか、と不安になる」「とか思われるんじゃないか」(Piroさん)
このように、本人が勝手にそう考えているだけなんです。(ちなみに、たとえばKammyさんの例など、もし本当に眼前のキャンペーンギャルかなんかに実際に「おまえなんか、こういう機会でもなきゃ女と話す機会もないんじゃないの?」「私が声かけてあげてるんだから、ありがたく思いなさいよ」だのと言われたんだったら、張り倒すなり 上司にいいつけるなりすればいいと思うし、言われていないんだったらそれは自分の邪推なんだからやめたほうがいいだろうし)
3 ハイ・タイド・ハリス氏や灘本氏の意見(喪男らの左足と右足)
もっとも、自分も以前は、上と同じように、いや、上のよりもさらにひどい劣等感に悩んでいたので、あんま人のこと言えないのですが、とにかく自分も悩んでおりました。しかし、現在では、こうやって自虐的に悩むこと自体、よくないことではないかと思っております。(その理由は後述)
以上の例は もてない系の人たちの例ですが、黒人や被差別部落出身者など、差別に苦しんでいる(いた?)人たちも、同様の劣等感に悩んでいるようです。*4
1989年、絵本「ちびくろサンボ」が日本で黒人差別といわれて相次いで絶版になった事件*5の経過と、それに関する様々な立場の人たちの意見を集めた本「『ちびくろサンボ』絶版を考える」に掲載された、黒人音楽家ハイ・タイド・ハリス氏(念のため、ハリス氏は「サンボ」は差別ではないという立場)の意見をまずご参照ください。*6
ハリス 私もそのような考え方〔「ちびくろサンボ」が差別的だという考え〕をしていた時期がありました。
これまで私たち黒人は歪んだ書き方ばかりされてきました。私たちは、「お前たちは聖書のなかでも呪われた存在である」と教えられてきたのです。〔中略〕だからこそ、黒人たちは、黒く描かれているだけで、それを拒否するのです。黒人が『サンボ』を見て示す反応は、「私はこんな風に見られたくない。これは私ではない」です。
(『ちびくろサンボ』絶版を考える、径書房、P163)
『ちびくろサンボ』も、あの聖書を私たちに教えた白人が創りあげたものです。だからこそ黒人は余計に深く傷つくわけです。〔中略〕より美しくなるためには、髪の毛をまっすぐにしないといけないとか、肌の色が薄くなければいけないと思ってしまうのです。そうすれば白人社会に受け入れられるからです。
(『ちびくろサンボ』絶版を考える、径書房、P164~165)
ちなみに、「『ちびくろサンボ』絶版を考える」に寄稿したり、座談会に参加しておられる灘本氏が著した本「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」によると、
〔中略〕当時、世界最大の黒人新聞であった『ニグロ・ワールド』には、皮膚用漂白剤とともに、唇の矯正器、鼻の整形器の広告が堂々と掲載されていた。アメリカの黒人が、肌の色をまっ黒に描かれたり、唇をまっ赤に描かれることを差別だと感じるのは、そのようなマイナスイメージがあるからだ。
「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」(灘本昌久著、径書房、P130~131)
ということですので*7、アメリカ社会の「黒い肌などは劣っている」という価値観に黒人が悩んでいた(そして現在も悩んでいる)というのは 事実のようです。
このような「自分で自分自身のことを劣っていると思う」感情は、むろん、過去のつらい経験……過去にいじめられた、不当に侮辱されたなどの外的要因によって作られた場合も多いのでしょうが、実際には このような感情は、被差別者自身のコンプレックスや劣等感、そして自己嫌悪こそが原因となって、引き起こされているというのが私の考えです。それは、先のハリス氏や、灘本氏が、以下のように主張されており、それに納得したためです。多少長くなってしまいますが、引用します。
ハリス 〔中略〕でも、名前〔「サンボ」の主人公の名前〕が「サンボ」であれなんであれ、それは関係ないのです。たとえば、これが「ジャックボー」という名前であったとしても、黒人であることの劣等感や自己嫌悪が私にあったなら、誰かが「ジャックボー」と呼んだだけで私は深く傷つきます。劣等感や自己嫌悪が問題なのです。
(『ちびくろサンボ』絶版を考える、径書房、P168)
「被差別の痛み」とはなんだろうか。……簡単じゃないか、踏まれた足が痛んでいるんだよ。……なるほど。しかし、俺にはお前の左足を踏んでいるのは、お前自身の右足に見えてしかたがないんだよな。
はっきりいおう。「被差別者の痛み」をなりたたせているもっとも本質的な要素は、被差別者自身のコンプレックス、劣等感である。社会的抑圧が強くても、それがなければ被差別の痛みは起こらない。
差別問題について考えている人のなかでも意外に理解されていないのが、被差別者自身が自分の劣等性を内面化している、ということである。つまり被差別者は、無意識のうちに自らを劣っていると思っているのだ。〔中略〕
「部落青年のアイデンティティー」と題する座談会で私の友人のひとりは、この問題に関する興味深い話を語った。彼は、部落に生まれ部落に育ち、被差別体験が積み重なっていく中で、自分の存在を何か悪いものだと感じるようになった。そのため若いころは差別に対して暴力で報復することしか知らなかった。しかし、あるとき、部落差別にもとづく冤罪事件(狭山事件)に抗議して、部落青年を含む五人の青年が、浦和地方裁判所を占拠し、屋根から垂れ幕をおろすという事件で、目から鱗が落ちたという。このときはじめて、差別というのは「いけないこと」なんだ、と思ったというのである。それでは、それまではどう思っていたのかというと、たんに「腹が立つから殴っていた」にすぎなかったのだそうだ。つまり、差別する相手が「まちがっている」という意識はなく、ただ触れられたくないところに触れられたことに憤っていたのである。〔後略〕
「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」(灘本昌久著、径書房、P192~193)
……そう、自分自身が自分を「劣っている」と思っていること、そして、間違っているのは差別をする奴であって自分ではないのに、そう考えられないことが問題なのです。
被差別者のなかには、「差別はいけないことだ」とか、「差別はまちがっている」ということが、心の底から了解できている状態はなかなか育ちにくく、むしろ社会に対する後ろめたさや自分自身に対するコンプレックスが容易に育っていく。〔中略〕そして被差別者は、自分のなかに深く根をおろした、自分へのマイナスイメージによって傷つきやすくなる。〔中略〕だから、そこにちょっとふれられただけでも、それは鋭い痛みとなる。
「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」(灘本昌久著、径書房、P194)
この「自分のなかに深く根をおろした、自分へのマイナスイメージ」とは、森岡氏の主張される「「自分みたいな、魅力のまったくない男なんかと話したって、きっと面白くないに違いない」という劣等感」などと、ほとんどイコールで結べるぐらい近い感情と考えられます。このような劣等感こそが、人間の魅力を奪っているのでしょう。
4 「自分なんか~」と思うこと自体が罪である
私は、以上のような、
- 「自分みたいな、魅力のまったくない男なんかと話したって、きっと面白くないに違いない」
- 「けっ、ノリの悪い男だなあ」「おまえなんか、こういう機会でもなきゃ女と話す機会もないんじゃないの?」「私が声かけてあげてるんだから、ありがたく思いなさいよ」….こういう罵声が頭の中を駆け巡るから、僕は余計に緊張して、どもり、汗が噴き出る
- 「ゴミカスみたいな自分」
というように、自分を卑下することは、良くないことであると考えています。いや、「良くない」どころではなく、「罪」と言ってもいいかもしれない。なぜか。以下に自分なりの理由を書いてみます。
4-1 人間的魅力をつぶす
森岡氏が「草食系」で主張されているとおりですが、「自分みたいな、魅力のまったくない男なんかと話したって、きっと面白くないに違いない」などと考えることは、自分の魅力や利点などをつぶし、自分の意欲などを奪ってしまうようです。
大事なのは、「自分はこんなつまらない人間なのだから、何をしたって無駄なんだ。もうずっとこのままで行くしかないんだ」という開き直りや、ひがみに陥らないようにすることである。
なぜなら開き直りや、ひがみは、人間的な魅力を奪い去るからだ。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P166、この強調は原文のまま)
さっきも書いたけど、自分がPiroさんや昔のkammyさんにイラつかさせられてるのも、「なんであんたら恋愛以外の面ですごいのに(Piroさん=Firefoxなどのプロジェクトにかかわるプログラマ、kammyさん=医者のたまご)たかが恋愛が苦手なぐらいでそう自虐的になるねん!」という感情があるからです。なんでそう恋愛ごときで悲しむのかと。
4-2 「ブラクがいて~」を誘発する恐れがある
もっとも、自分の魅力がつぶれるぐらいならまだいいのですが(いや、本当は良くないんだけど)、こういうコンプレックスに苦しむ人たちは、「別の立場の人たちを侮蔑する」ようになる危険性があるのではと考えております。
(ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル、小林よしのり著、解放出版社、p22)
(「ゴーマニズム宣言」小林よしのり著、幻冬舎文庫、P44、1~8コマ)
このように、「他を差別して自分を慰める」という者が、恋愛ができないということでコンプレックスを抱いている喪男や非モテにも少なからずいるのではないか(とくに2chとかで……)という問題があります。
4-3 現在の(誤った)価値観に隷従してしまう、また、しなくてもいいのに傷つく
上の4-1、4-2のほかに、(これが実はこの記事で最も強調したいことなんだけど)以下のような問題もあります。前掲「『ちびくろサンボ』問題を考える」の、灘本氏、岸田秀氏、竹田青嗣氏の座談会から。
灘本 〔中略〕
あるがままの被差別者の感情というのは、自分の存在が非常におぞましいわけです。部落民であれば、自分が穢多の末裔であること自体がそもそも恥ずかしいわけでしょ。人が差別発言しようがしまいが。だから自分に対して人がなんとなく意味のわからない視線を向けただけでも、「あ、自分は穢多の末裔で、そのことについて否定的なまなざしがいま向けられている」というふうにも感じられる。障害者にしても、朝鮮人にしても同じなわけで、だからあるがままの被差別者というのは、あるがままの差別者と同じ目を持っているかぎり、同じになってしまう。ただ被害者か加害者かというだけの違いでね。
岸田 そうですね。そういうところがありますね。同じなんですね。
灘本 自分を、差別者と同じ目ン玉で見ているにすぎない。〔中略〕
岸田 被差別者が差別の価値体系を内面化しているという問題ですね。
灘本 そう、被差別者が実は差別の体系を受け入れているという……。
(『ちびくろサンボ』絶版を考える、径書房、P243)
この、「自分が穢多の末裔であること自体がそもそも恥ずかしいわけでしょ。人が差別発言しようがしまいが。だから自分に対して人がなんとなく意味のわからない視線を向けただけでも、「あ、自分は穢多の末裔で、そのことについて否定的なまなざしがいま向けられている」というふうにも感じられる」というのは、先の「話していても、相手の心の声が聞こえてくる感じがするのです.「けっ、ノリの悪い男だなあ」「おまえなんか、こういう機会でもなきゃ女と話す機会もないんじゃないの?」「私が声かけてあげてるんだから、ありがたく思いなさいよ」….こういう罵声が頭の中を駆け巡るから、僕は余計に緊張して、どもり、汗が噴き出るわけです.」というのと、ほとんど同じです。
そう、先の例に戻りますが、Piroさんらなどは、「恋愛ができない奴は劣っている」「コミュニケーションが苦手な奴は劣っている」などといった、世間の(誤った)価値観に、じつは従っているんだよな。従っているからこそ自分を劣っていると思っているわけで。これ(「そう、被差別者が実は差別の体系を受け入れているという……。」)こそが、最も問題なのです。
また、「相手が自分のことをどう考えているなんてわからないのに、勝手に相手の考えを邪推して勝手に傷つく」人が、喪男などに多いと思います。(わしも昔はそうだった)しかし、これは無意味だろうと。相手がはっきり言葉などで自分を非難したのならともかく、そうでもないのに勝手に傷つくのは無意味であり、無用であると。
だから、私は(自分と同じような境遇のすべての人たちに)言いたいのです。「自分を劣っている」などと思うな。そう思うこと自体が、世間の(誤った)価値観に追従することなのだから。
5 劣等感などの解消
ここまでを読まれて、「じゃあ 喪男などならモテるように努力などすればよい」と思う人もおられると思います。そういうのも、それができる人にとっては適切な考えの一つなのでしょうが、そのようなことが本当に適切な方法(考え方?)なのか、自分は疑問をもっています。それは、「黒人が白人に気に入られたり差別されなくなるために、皮膚を漂泊したり整形したりする」とか、「部落出身者が自分の出身などを隠す」などというのと、たいして変わらないのではないか。本来は差別(侮蔑)する連中の方がまちがっているのであり、なんで被害者の方が妥協せにゃならんのかと。
森岡氏の「草食系」に戻りますが、森岡氏もこう主張されています。また、私も同じように思います。
いまの世の中は、恋愛が苦手な男たちにとって、ほんとうに生きにくい。
テレビを見ても、雑誌を見ても、恋愛できない男は、一人前の人間じゃないかのように扱われている。
このような、「恋愛できない若者はどこかおかしい」と言わんばかりの風潮に、いらだちを感じている読者も多いのではないだろうか。
私もまた、この風潮は、どこかおかしいと思っている。「恋愛できない男は、男の名に値しない」という考え方はまったく間違っている。このことは、はっきりと書いておきたい。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P8~9、この強調は原文のまま)
〔中略〕以前にも述べたように、私も、この社会の中に、「恋愛できなければ一人前の男じゃない」というような風潮があることを、おかしなことだと思っている。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P171)
それに、なにしろ、私自身がこれまでも今後も絶対にモテるなどということはなく、またそのような努力もしたくない。自分がするつもりもなく、またできそうにもないこと(モテる努力など)を、他人に勧めるのは間違っていると考えます。さらに、どうやっても恋愛などができそうにない人も、自分以外にも結構いるのではないか(たとえば、矢野隊長とか兄さんとか……個人名あげるのは気がひけるが)。こういう人たちが、不要なコンプレックスを抱かずにすむ方法についても、考えていく必要があるではないかと思います。
ここで、最近拝見した記事を紹介したいと思います。*8 Web漫画などを公表しているやまなしレイさんの 漫画やゲーム等のレビューなどのblog「やまなしなひび-Diary SIDE-」*9の以下の記事。
「彼女はいません」―――
“日本一モテない男”を自称しているほどの僕ですから、何十回・何百回と繰り返してきた言葉です。
言っちゃナンだけど、僕はこのブログを読んでいる誰よりもモテない自信がありますし、今後も死ぬまで独り身で生きていくんだろうなとは思っています。諦めというよりは、覚悟。だからこそ僕は生きているのだし、何ら恥じることはない、そんな自分を誇らしいとすら思います。
(これまで見てきた非モテ系blogの調子とあまりにも異なっているので、最初、冗談なのかとか 疑ってしまったのですが、やまなしさんは真にそう考えておられるようです)
なぜ私がこちらを紹介するかというと、やまなしさんが「モテない自分」を卑下したり自己嫌悪したりせず、自分自身を自分で認めておられるからなのです。この考え方こそが、重要ではないかと考えます。自分自身が自分を卑下しないこと。これこそが重要です。
先に紹介したハリス氏もこう言っています。
ハリス でも私は、今お話ししたような考え方──つまり黒人であることの劣等感からは脱却しました。この『ちびくろサンボ』のどこがいけないんでしょうか。
(『ちびくろサンボ』絶版を考える、径書房、P165)
念のためですが、ハリス氏は別に肌を白くしたりして白人に近づいたわけではない(本人のサイト(http://www.geocities.jp/hitidemelody/hitide.htm)や、http://blog.livedoor.jp/m-91_73914/archives/12997013.htmlなどを見るとわかる)ようです。黒人でありながら、黒人であることの劣等感から脱却できた、ということなのでしょう(具体的にどのようにしてハリス氏が脱却できたのか、「『ちびくろサンボ』絶版を考える」では明確でないのが残念)。
では、どうやって「自分自身が自分を卑下しないこと」ができるか。森岡氏は「草食系」でこう主張されます。
したがって、なすべきことは、自分と他人をたえず比較して落ち込んでしまうというその「心のはたらき」を、解体していくことである。
そのためには、このちっぽけな、欠点だらけの自分という人間を、まずはそのまま、まるごと認めてあげることだ。
いまの自分は、どうあがいてもいまの自分でしかないのだから、もう他人や、世間の一般的な基準と比較することはやめにして、「自分は自分、もう逃げも隠れもしない、これがまるごと自分の真の姿なのだ」と腹をすえて、そういう自分の存在を正面から肯定して、許してあげることだ。
いまの自分を肯定して、許してあげるとは、「私は、こういう私でしかないのだから、それを他人と比較して落ち込んでみてもなんの意味もないのだ」というふうに、心の底から思えるようになることである。
「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P165~166)
この「自分という人間を、まずはそのまま、まるごと認めてあげる」「他人と比較して落ち込んでみてもなんの意味もないのだから、自分は自分と割り切る(他人や世間の価値観などに追従しない)」ということが、ハリス氏ややまなしさんのような考え方ではないでしょうか。
やまなしさんの考えをさらに引用いたします。
僕も昔はモテない自分が嫌でしたし、「この先、生きていてもイイことなんてないんだろうなぁ…」と思っていましたが。「恋愛」をしない方が、お金も時間も自分に投資が出来るということに気付いてからは、モテない自分もそんなに悪くはないなと思うようになりました。
僕が23~24歳から「よし!年齢的にラストチャンスだろうから漫画を描いてみよう」と描き始めたのは、「彼女がいない」おかげで絵を練習する時間が十分に取れたからだと思っています。まぁ、それでこの絵かと言われるとグゥの音も出ませんが、一応お話を作れる程度にはなったんで良かったと思います。
「彼女がいない」おかげで今の自分がある―――
モテない体に産んでくれてありがとう、お母さん。
(やまなしなひび−Diary SIDE− 「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ この強調は原文のまま)
だから……
だから、僕は勇気を持って、胸を張って、ここに記さねばならない。
やるべきことは、自分に出来ること。そして自分にしか出来ないこと。
僕には彼女がいません。
そして、今後も出来ることはないでしょう。
でも、僕はそれを恥だとは思いません。
「彼女がいない」ことで得たものが沢山あります。僕はそれに感謝をしています。
(やまなしなひび−Diary SIDE− 「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ この強調は原文のまま)
そう、だれもが恋愛とやらにふける必要はないのであって、恋愛ができない人は別のことにエネルギーや資源を生かせばいい。松田道雄の名著「恋愛なんかやめておけ」にも書いてあるように「人生には恋愛のほかにおもしろいことがたくさんある」と言うことでしょう。単純なことなのですが、森岡氏が指摘する「「恋愛できない若者はどこかおかしい」と言わんばかりの風潮」によって、そう思えない人もいるのだろうと。
……というわけで、私も以前はモテない(つーか彼女いない歴=年齢)自分が非常にいやだったのですが、今は「自分がいやだ」などとは考えないようにしております。自分はたしかに「容姿がよくないとか、とても太っているとか、人前でうまくしゃべれないとか、学歴が低いとか、頭が悪いとか、スポーツがぜんぜんできないとか、モテない」人間なんですが、それでも自分自身への「コンプレックス、劣等感」に悩むのはやめにしようと。また、いままではゲームや同人やらにはまるのが(その分 恋愛ができないので)後ろめたかったのだけど、今後は決して後ろめたいように思わないようにしようと。また、今後は自分の好きなこと……ゲームもそうだし、同人やら、古本漁りやら、昔の新聞のネタ探しとか、萌え連でのエロ画像探しとか*10、スチームやキラ速でのzip収集とか*11、そういうのに全力を傾注していこうと考えております。
(「草食系」にも「自分はもう恋愛の世界には入らないというのも、一つのいさぎよい決断である。/その場合は、恋愛についてあれこれ悩んだり、恋愛を批判したりするのをやめて、自分の人生でもっとも大事なものを目指して突き進んでいってほしい」*12とある)
6
「草食系」の書評というよりは、ほとんど劣等感話になってしまいましたが、このような「自分自身の劣等感や自己嫌悪」をなんとかしていくことが、私(および矢野隊長、兄さんなど)が直面している課題なのではないかと考えております。
(ただ、これをなんとかしたとしても、他人からグジャグジャいわれるのはどうにもならないわけである。やまなしさんの前述記事にも
ただ……「彼女はいません」と発した後、その言葉を受け取った人が“それだけで僕という人間を判断し終わった”顔をするのには苦しくなります。友達も、家族も、ネット上を介した関係であっても、「彼女がいない」という一点だけで僕という人間を「可哀想なヤツだ」「人間的に問題があるのでは」「キモイ」「将来どうするんだろうコイツ」と判断してくる―――
(やまなしなひび−Diary SIDE− 「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ この強調は原文のまま)
とあるように、他人からこのように判断されたり非難されたりするのはどうしたらいいのか という問題が残っているわけで)
*1:あとBK1のhttp://www.bk1.jp/review/0000468318なども参照
*2:この章については、ほかのサイトの記事などではあまりとりあげられていない印象がある
*3:よりくわしい わしのステータスはhttp://hebomegane.g.hatena.ne.jp/TakahashiMasaki/20070814/1187093064参照
*4:喪男らと、社会的・法的な差別が厳しかった黒人・被差別部落出身者などとをイコールにするのは問題があるとはわかっているが、他人から侮蔑・侮辱されることについて 両者はけっこう共通点があると思うので、本稿では黒人などをとりあげている
*5:なお、私(高橋)はちびくろサンボは差別的な意図で書かれたものではないという考え。この件については別に書きたい
*6:なお、「『ちびくろサンボ』絶版を考える」には「サンボ」が差別的なので絶版にすべきという立場の黒人も意見を寄せているが、あまり読む価値はない
*7:この箇所は「ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ」の脚注によると、辻信一著「ハーレム・スピークス」という本によるもの。「ハーレム~」原文は高橋は未読
*8:あまりはてブがついていないが、重要な記事ではないかと思う
*9:関係ないが自分は最近こちらのサイトのファン
*10:いや、それは違うだろと(自分ツッコミ)
*11:いや、それも違うだろと(自分ツッコミ)
*12:「草食系男子の恋愛学」(森岡、メディアファクトリー、P173)

