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甘くておいしいおイモだよー このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-06-09

いずみのさん ( d:id:izumino , @izumino ) の論説がひどく癪に障り続けてきたのでその論説スタイルを分析した いずみのさん ( d:id:izumino , @izumino ) の論説がひどく癪に障り続けてきたのでその論説スタイルを分析した - 甘くておいしいおイモだよー を含むブックマーク はてなブックマーク - いずみのさん ( d:id:izumino , @izumino ) の論説がひどく癪に障り続けてきたのでその論説スタイルを分析した - 甘くておいしいおイモだよー

いずみのさんの論説スタイルを一般化すると、以下のようになる。

  1. 自分の好む要素が含まれている作品Aに対して、自分の好む要素が含まれていない作品Bを引き合いに出す
  2. 「私は、作品Aはポジティブに読めるけど、作品Bはポジティブに読めない」と表明する
  3. その原因を自分自身でなく作品に求める
  4. 1. から 3. を、「自分の好む要素」を自覚した上で行う

これは、例えて言うなら、こういうことだ。

  1. 少年漫画作品しか読めない人が、少年漫画作品aに対して非「少年漫画」作品bを引き合いに出す
  2. 「作品aは少年漫画だから読めるけど、作品bは少年漫画ではないから読めない」と表明する
  3. 「しかしそれは作品の方向性の問題である」と述べる
  4. 1. から 3. を、「自分は少年漫画作品しか読めない人だ」ということを自覚した上で行う

いずみのさんの具体的な論説「四コマのコミックス、なぜ一気に読みづらい?」で見ていこう。

  1. 「ダイナミックなカタルシスが内蔵されている」作品である『晴れのちシンデレラ』に対して、「ダイナミックなカタルシスが内蔵されてい」ない作品である(といずみのさんが考えている)『森田さんは無口』を引き合いに出す
  2. 『晴れのち』については「『もっと、もっと』と読みたくなってくる」と表明し、『森田さん』については「一気に読むのがちょっと辛い」と表明する
  3. 「でもそれは作品の方向性の問題であって、優劣の問題ではないだろう」と述べる
  4. ぼくは古いタイプの人間なので、カタルシス系の方に重きを置くのはこれはもう、思考的にしかたがないとこでして。

注意しなければならないのは、上記具体例の3.においては「方向性」も「優劣」も問題ではない、というかそもそも作品自体には何も問題がないということだ。しかし、作品についての「方向性」と「優劣」という分かりやすい対立軸が挙がることで、「作品」か「自分(いずみのさん)自身」かという対立軸が覆い隠されてしまうのだ。そう、問題にすべきは「ダイナミックなカタルシスが内蔵されている」作品である『晴れのち』をポジティブに読むことができるいずみのさん自身、あるいはそうでない『森田さん』をポジティブに読むことができないいずみのさん自身だ。

ある作品をポジティブに読めないこと自体には何も問題はない。上の例え話で挙げた「少年漫画作品しか読めない人」は少年漫画を突き詰めて読みまくればいいだけのことだ。むしろ、そういった自分自身の嗜好を自覚していることは、物語の消費者として賢いと言える。ただし、それは、上記の 1. から 3. を行わない場合に限ってのみ、だ。

1. から 3. の行為は、個々だけ見れば有益な面もあろうが、全て揃うと全く建設的ではなく、むしろ醜悪ですらある。「方向性」などという言葉で作品の多様性を認めるようなポーズを取ることにより、それを受容する読者の多様性に触れることをうまく避け、「自分の好む要素」を当然のものと見なすよう、論説の受け手に仕向ける。そこに 4. が加われば、これはもはや啓蒙以外の何者でもない。


追記〔2010年6月11日 1時18分〕

誤字脱字を修正。そして以下にピックアップブコメレス。


b:id:nadegata 「表現がなんか偉そう」というのは、私に言わせれば隠れ蓑に過ぎません。私はその奥にあるいずみのさんの論説スタイルを批判しようとしています。

いずみのさんのスタイルを端的に述べるなら「評論のフリをした自分語り」という詐術です。作品を盾に取る(=ポジティブに読める・読めないの原因を自身ではなく作品に求める)ことによって評論の体裁を整えるとともに、「自分の好む要素」(+それが好きな自分)を安全圏に置き、論説に対する「それはあなたの好き嫌いの問題でしかない」という当然の反論から逃れようとする。控えめに言っても、「好き嫌いの問題」という言葉の制御権を自身が得ようとする。その実態は、本当に、いずみのさん自身の好き嫌いの問題でしかないのに!

さらにナデガタさんのTwitterにも反応すると、「僕は評論でなく「感想」という視点で、「自分の好む要素を当然のものと見なす態度」って読者だったらアリだと思ってます。読者は横柄でいいといいますか。もちろん、その横柄さの表明は批判されるのを覚悟した上でなら。」というのは全く同意です。ただし、今回のいずみのさんの論説には適用できません。なぜならいずみのさんはその論説スタイルによって自分語り≒感想をさも評論であるかのように見せているからです。いずみのさんが件の論説スタイルを用いず、その論説の前半にある「体験的に感じたことがある。それを報告してみよう。」というスタイルを貫かない限り、私はナデガタさんのおっしゃる態度を取ることはできません。


b:id:konkon1986 第二文が誰に向けられたものかよく分からないまま、関係ないかもしれない話をしますと、私は「個人的な感情の垂れ流しに色(理屈)をつけ」ること自身についてはむしろ肯定的です。

この記事の取っ掛かりも、いずみのさんの論説に対する私自身の「癪に障る」という感情です。この感情を理詰めで精査した結果、いずみのさんの論説スタイルを他の人にも説明できる形で文章に起こすことができ、このブログを通じて他の人と共有することができたので、それも悪くないかなあとは思いました。