2007-09-05
■ 取っておきの情報でも人に教えられないときがある

ブログに何か書くと関連情報がコメントやトラバで寄せられるように、情報は発信する人の所に集まってきます。なのでとっておきの情報は人に教えない、という人の所にはそれなりの情報しか集まらないのでは。
とっておきの情報こそ人に教えた方が良いと思う - なつみかん@はてな
激しく同意。なんだけど,とっておきの情報でも人に教えられないことがある。
それは同人活動に関する情報。
サイト柄,漫画家さんの情報を扱っているんだけど,「この人は別ペンネームでこんな同人作品を書いてるよ。サイトはここだよ。」的な情報はおおっぴらには出しにくい。
理由はふたつ。ひとつ,別ペンネームで同人活動をしてるってことは商業と同人を切り分けていて同人活動はあまり知られたくないのかなと自制が働くこと。
もうひとつ,こちらは保身的な考え方で恥ずべきところだと思ってるんだけど,情報が公然の秘密状態であっても,その情報をおおっぴらに出すことで既に情報を持っているコミュニティから何か言われやしないかと考えてしまうこと。
こういった情報が広く共有されれば,本当にその漫画家さんの作品が好きなファンの人たちはすごく嬉しいはずなんだけど,上記の理由で情報をなかなか出せない。
「有用な情報は広く共有されるべきである」というのが私の持論で,それは多くの人を幸せにするはずなんだけど,同時に「作る手を持つ者を称える」とも思っていて,先のような情報は読者は幸せにするだろうが作者を幸せにするとは限らない。ただの興味本位の人が寄ってくる可能性もあるわけだし*1。
作者,作者周辺のコミュニティ,そして自分自身の信念との間で幸せに向けてのさじ加減が難しいとやきもきしながら,「困ったときは安全側に傾けておけ」というセキュリティが働いて,未だ公に出していない情報が私の手元に二,三はある,気がする,かもしれない。
*1:これを書いている私も耳が痛い……。
ロスペドさんのおっしゃることは,つまり「読者のリテラシを信じて情報を発信することが重要だ」ということでしょうか? だとすればそれにはおよそ同意です。
ただ,それはコミュニティ*外*の人間については心配していないという意味で,問題はコミュニティ*内*の人間のリテラシ,というか,情報発信に関する信念,だと思っています。これが私の信念と一致しないことには,コミュニティの雰囲気が悪くなっちゃったり,私が反発を受けて面倒なことになっちゃうんじゃないかという心配があるんですよね。
「考えさせる」のは大切だと思うんですが,じゃあコミュニティ内の人間は”正しく”「考えて」くれるのか,バイアスがかかってしまうから難しいんじゃないか,という。